齋藤紘良「子どもたちと道草したくなる都市とは?」
shibuya good streamでは「良い都市とは?」と、問い応え続けていくことを大切にしています。それは「良い都市」を巡る定義を豊かにしていくための実践でもあります。道草のしがいがある都市。まさしく、良い都市を表すフレーズであるように思いますし、そこにはあまり異論を挟む余地もないような気もしてきます。であるならば、理想を少しでも描けたとするならば、現実を理想に近づけていきたい。現実と理想をともに豊かにしていきたい。そうも思います。
今、渋谷は「100年に一度の再開発」を迎えていると言われています。道草のしがいがある都市とはどのようなものか?と、このタイミングで問うことは、そのタイミングならではの意味を持つように感じます。し、意味を持たせるようにがんばりたくも思います。shibuya good streamでは、そこにおいて「子どもの視点」に重きを置きたいと考えています。そう思わせてくれたのは、渋谷川のほとりの「渋谷東しぜんの国こども園」。都心であるとともに寺社も多くあり歴史を感じさせる顔を持つこのエリアを舞台に、子どもたちの「まち歩き」を大切にされている保育現場です。そのユニークな取り組みに、最近は海外からも視察に訪れるようです。
カフェ、レコード、ファッション、レストラン…。1つのショップが街のありように大きく影響を与えるということは古今東西珍しいことではありません。そのようなショップは都市をつくっていると言えます。子ども園も然り。保育の現場が都市を動かすという構想。これは別視点での都市開発を考えるための探求シリーズでもあります。「渋谷東しぜんの国こども園」を運営する社会福祉法人東香会の理事長でもありながら、音楽家や住職という顔も持つ齋藤紘良さんと語らいました。
右から、齋藤紘良(社会福祉法人東香会 理事長、音楽家、簗田寺 住職)、熊井晃史(shibuya good/slow streamディレクター、GAKU事務局長)
渋谷東しぜんの国こども園内の子育て支援スペース「BUTTER」で開催されている『schola room(スコラ・ルーム)』。「誰でも参加できる保育の自由研究セミナー」として実施されており、この記事はそこでの会話の記録をもとに作成しました。
齋藤紘良
1980年生まれ。しぜんの国保育園などを渋谷/世田谷/町田/相模原で運営する社会福祉法人東香会(とうこうかい)理事長。寛永6年(1629年)に建立された簗田寺(りょうでんじ)の住職、楽曲提供やバンドCOINN(コイン)で活動するプロミュージシャンなど多彩な顔を持つ。町田の里山地域で500年続く祭りの創造、精進食堂、宿坊、花屋、カフェ、お香ブランドを通して地域の豊かな文化を創造している。全国私立保育連盟研究企画委員、和光高校「保育と教育」非常勤講師(〜2023年)、大妻女子大学家政学部児童学科講師(2023年〜)。
しぜんの国保育園:https://toukoukai.org/
簗田寺:https://ryoudenji.net/
道草が都市をそうたらしめる、保育は道草そのもの
齋藤:「道草したくなる都市とは?」というお題を見たときに、反対から考えてみたくなったんですね。じゃあ今の都市って道草をしたくないならないってこと?と。
熊井:少なくとも今の都市開発で、道草をしたくなることが中心的な目標にはなってないですよね。
齋藤:そうですよね。でも、今の渋谷は工事をいっぱいしているから、道筋がどんどん変化していることに気づくんですね。自分が思った最短距離で行こうとしたけど行けなかった。え、面白いって。
熊井:そこを面白がれちゃうんですか。
齋藤:それも道草のひとつって言うのかなって。だから、再開発が進む渋谷は、僕らに道草を提供してくれているとも思えてくる…。
熊井:面白がっちゃったもん勝ちみたいな話ですけど、巨大な都市と上手いことやるために必要な心構えかもしれませんね。
齋藤:それで言うと、ちょっと紹介したいんですけど、子どもたち向けのプログラミング教育でロボットを動かす教材があるんですね。マス目があるシートにスタートとゴールがあって、ロボットに指示を出して動かしていくというもの。5、6人で遊んでいたんだけど、最短距離で行ける指示の出し方をプログラミングとして編み出した子がいて…。
熊井:教材としても最短距離で行くことが求められていますしね。
齋藤:なんですけど、別の子がめっちゃ遠回りしてゴールに着きそうで着かないみたいなことを真剣に考えていたんですよ。いざロボットを動かすぞっていうときに言い合いになって、「こっちのほうが最短距離で早く行ける」って言う子に対して、「絶対いやだ」と。
熊井:うーん、スゴい。
齋藤:結局、その遠回りの動かし方をやったんだけど終わってみたら、最短距離を考えていた子が「こっちのほうが面白い」って言ったんですね。
熊井:遠回りのほうが面白かった、と。
齋藤:そう。そういう感覚って、道を歩く面白さみたいなものの根源にもあるなっていう気がしているんですよね。
今ここ、そのものを大切にする
熊井:文化人類学者のティム・インゴルドの有名な話で、彼は「輸送」と「散歩」は同じ移動でも全く違うものだって言っているんですよね。輸送は、スタートとゴールが最短で結ばれていてプロセスに重きが置かれていないけど、散歩はプロセスそのものが目的とも言える。彼は、そこから今の社会がその意味で輸送的なものになっているという批評をしていくわけですが、ある意味で言うと保育や教育もそういう輸送的なものになりかねない。
齋藤:だから学びという言葉も難しいんですよね。例えば、子どもたちとなにかを飲んだり食べたりしている時に、ただ「美味い!」でいいじゃんと思う。で、その行為の学びとは?みたいなことは考えてももちろん良いんだけど、その前にまずちゃんと味わうことが大事なはずなんですよね。そうやって、ただちゃんと味わうという生活があって…。
熊井:生活が土台。
齋藤:そう。その中から一つ一つ振り返ったときに、文脈を考えたり学びを見出していく。そういうことが生きてるってことだもんみたいなことが前提にあるから、本来はただ味わうということをしたいし、してもらいたいんですよ。
熊井:輸送的な社会の中では、そういう本来がむしろ一番難しい。
齋藤:教育者や保育者が、学びの手前にあることだけを言っていたら怒られてしまうかもしれませんけどね…。
熊井:いやでも、shibuya good streamのwebに編集者の若林恵さんとの「未来の奴隷にならないために」と題された対談が掲載されています。学びとされているものや未来というもののために、現在というものが常に犠牲になっているという話でもあるんです。学びのために、良い学校に入るために、良い大学に入るために、良い会社に入るために、良い家やクルマを買うために…と。いつ、今・ここを味わうんだっていう。学んでいるかどうか?というよりも、より良く生きれているか?っていう問いのほうが根本的なものですよね。
齋藤:生きるっていうことがどういうことかっていうことなんですよね。
教える、教えられるという概念がない文化
熊井:「生」というものを中心に考えた時に、学びって本当は常に振り返って遅れて訪れることが多いものなんですよね。事後性のもの。
齋藤:そうですね。
熊井:そこに、僕が謎な存在になってしまう理由があって…。
齋藤:というと?
熊井:渋谷では、このshibuya good stream以外にも、10代向けのクリエイティブスクールのGAKUというものも運営していて、基本的にはキャリアの中心は教育なんですね。でも、そういう事後的に「気づいたら学んでた」みたいなことが好き。そうなると自分のことを教育者とかって言いたくなくなる…。
齋藤:だから、分かりづらい存在になる。
熊井:はい。ちなみに、文化人類学者の原ひろ子さんは、『子どもの文化人類学』という書籍のなかで、カナダ北西部に暮らす先住民族の人たちの暮らしを調査していくなかで、「『教える』、『教えられる』という概念がない」というようなことを発見し、その前提には「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という文化的な価値観があるとしていました。
齋藤:うんうん。
熊井:「人間に対して指示を与えることのできる者は、守護霊だけ」っていう。で、彼女はその調査を終えて日本に帰国したら「子どもも、青年も、『教えられる』ことに忙しすぎるのではないか」と思ったと書いていました。
齋藤:うんうん。
渋谷を子どもたちと歩く
齋藤:今回、「まち歩き」に参加してくれたんですよね?
熊井:はい、とても楽しかったです。撮影もしながらだったので、わたし目線の写真で当日の様子を少しご紹介していきましょうか。
調理室から出汁のにおいも漂っていました。調理員さんの手書きの献立表も最高。子どもたちがそれを見ながら調理員さんに話しかけている風景にも出会えました。
園から見える渋谷川と緑道。
まち歩きに出かけると、いろんな人が話しかけてくれます。この写真は、ハンバーグ屋さんのメニューを見て、「美味しそう」という子のつぶやきでニコニコしていたコックさんとの会話の一コマ。
渋谷ストリームの大階段をアスレチックのようにしてかけっこ。
お月見団子をもぐもぐ。お話の世界にすぐ入ります。
気になるものがあれば、足を止めて観察。
なんだか次第に子どもたちが街の主役のような気がしてきます。旧東急東横線の線路跡のラインも、格好の遊び場。
ショーウィンドウも不思議な世界の入口。
「ここ登りたい」という子と、その挑戦を見守る先生。
挑戦をしている子を、ちょっと先で待っている様子。それぞれのペースでそれぞれが自由に動きつつも、不思議とある一体感。
公園の段差をステージに見立てて。
ハーブのにおいや触り心地を体感。
ちょっとした囲い空間を見つけて始まるごっこあそび。
奥にはスケボーパーク。
自分のからだをメジャーにして街のいろんなものの大きさを感じる。
渋谷のコミュニティバス「ハチ公バス」。見つけた時の子どもたち(と先生も)嬉しそうだった。
山の幸、海の幸、都市の幸、保育の幸
熊井:楽しく街を歩くためには、想像力が必要。子どもたちはその想像力を本来たくさん持っている。でも、それを発露するきっかけは必要だったりもする。そこを先生たちがうまいこと背中をみせたり呼び水になりながら、そして本人も楽しそうに歩く。楽しそうな先生をみて、子どもたちも楽しそう。なんか、そういう感じでした。
齋藤:子どもと芸術をナチュラルにつなげたいんですよね。もともと、創造的な思考ってどこから生まれてくるのかなみたいなことを考えた時に、「まち歩き」というものがあったんで。
熊井:ん、気になります。
齋藤:何もないところから遊びをつくるっていうことの大切さを考えていた時に、ちょうど渋谷に園を出してくれっていう話があって、「でも、園庭ないんですよ」って言われて、それなら街の中でそれができるじゃんって。その当時読んでた、坂口恭平さんという方の本のなかに「都市の幸」っていう言葉があって…
熊井:いい言葉ですね。
齋藤:ね。街を子どもたちと一緒に歩いてると、なんかゴロゴロと「都市の幸」が転がっていることに気がつくし、それが「保育の幸」でもある。
熊井:わー、山の幸、海の幸、都市の幸、保育の幸。
齋藤:園庭がないから滑り台とかないけど、ちょっとした坂があれば滑れるじゃないですか。
熊井:滑り台が欲しいんじゃなくて、滑りたいんですもんね。そもそものところこそが創造性が宿るところ…。
齋藤:園庭や大きな遊具がないことのメリットも考えたかったんですよね。創造性を発揮しながら街を歩いていると、いろんなものに目が向くというか、感覚が広がっていく。そういう子どもたちの姿を見て、大人もそういう感覚に戻っていく。そういうことができたらなと思っていたんですよね。そういう「幸」って、大人の目線が少ないところにこそ転がっているんじゃないかなっていうので、道端や路地というものを大事にしたくって、ここのこども園の副題に「small alley(小さな路地)」っていう名前をつけたんですよね。
熊井:ある種、隙間のような場所が持つ特殊性というか可能性というか…。そこをホームに創造性を発露して欲しい、と。
齋藤:そうそう。まさに今この辺で、芸術的なことを日常的にやってる。そういう姿をね、たくさん見られて嬉しいです。
熊井:もうね、「社会彫刻(現代美術家のヨーゼフ・ボイスが提唱した概念。誰もが芸術家で、さらには物質的なものだけでなく目に見えづらいような社会をつくるという行為そのものにも芸術性があるとした)」じゃないですか。
どっちが人間らしいんだろう
熊井:今回、「まち歩き」に参加して印象的な状況にたくさん遭遇したんですが、なかでもずっと考えさせられているシーンがあります。それが、渋谷の街を猫になって歩く子どもたち。
齋藤:わ、いいなあ。この写真を飾っておきたくなる。
熊井:先ほどおっしゃっていた「芸術的なことを日常的にやってる」ということの凄さを感じるんですね。
齋藤:どっちが人間らしいんだろうって。
熊井:わ、そうですよね。街なかで猫になっちゃう子どもたちのほうがよっぽど人間らしく感じられてしまうという。
齋藤:はい。
熊井:本当に保育の幸を味わわせてもらった感覚なんですが、これは日頃のみなさんの保育のひとつの結果というか、普段の積み重ねがないと見られない景色だなとも思います。というのも、猫カフェの看板をみたら、子どもたちが急に猫になっちゃったんですが、なかなか猫になったまま人間に戻らない…。
齋藤:あははは。
熊井:子どもたちの安全を見ながら、すぐにやめなさいとも言わず、良い塩梅に見守りつつ、ギリギリのところまで子どもたちの想像と創造を受け止めようとしている先生たちの営為が伝わってくるんですよ。それが、この散歩のときだけじゃなくて普段からだから、子どもたちも猫らしくというか、紘良さんの言葉を借りると人間らしくなれる。
齋藤:うんうん。
熊井:信号を渡るときなどは、「みなさん、人間にもどってくださーい」って声をかけていたんですよね。「やめなさい」じゃなくて。
齋藤:子どもたちの世界に入っている。
熊井:そうそう、そこへの尊重がある。で、子どもたちも人間に戻ったと思ったら、またすぐ猫になったりで、しばらく猫として渋谷のどまんなかを進んでいたんですよ。その風景を目の前にして、美術館に行ったとしても味わえない芸術がそこにあると素直に思っちゃったんですよね。あと、子どもたちが街のなかで猫になるという「ごっこ遊び」をしている様子を見ていたら、まあ、こっちもこっちで、大人の世界もごっこ遊びみたいなもんだよな、とか思えちゃって。
齋藤:あははは。
熊井:芸術というものの本場がここにある、と大きなことを言いたい気持ちが正直あります。というのと、ごっこ遊びって、「こういうことにしておく」っていうことの共同的な想像性じゃないですか。「わたしたち猫ってことで」っていう。その「そういうことにしておく」ということで出来上がる世界を先生と分かち合えているということの安心感や、そこで生まれるこの世界への信頼感というのは、子どもたちにとっても代えがたいものがあるんじゃないですかね。保育や教育という視点でも、いろいろと考えさせられました。
社会を突き動かす、また別の社会
熊井:本業が教育のしごとなので、小学校とか中学校にお招き頂くことが多々あるんですね。それで、ここ数年気になっていたのが、先生たちが「わたしたち社会のことよく知らないんで」って口癖のようにおっしゃることで…。一方で、保護者や地域や行政サイドも、そういうことを言う。
齋藤:あー。言われたことあります。
熊井:んー、学校や園も一つの社会ですし、むしろ、「ここで、これからのあるべき社会のプロトタイプをつくっているんだ」くらいの社会分業的な気持ちがあったってよいし、あるべきであるとも思うんですよ。まさに、どっちのごっこ遊びが、より良いごっこ遊びなんだ?っていう。
齋藤:あははは。
熊井:これつまり、保育の現場が都市を動かす、或いは動かしているという話になってくるんですが、是非、そういう探求や実践を一緒にしていきませんか。
齋藤:是非是非。
熊井:ああ、それと本番が始まる前にお話をしていた墓地の話もしたいです。
齋藤:デパ地下が全部墓地になってたらいいんじゃないかみたいな。
熊井:道草のしがいがある都市が良い都市であるように、死後に眠りにつきたいと思える都市も良い都市であるはず!
齋藤:ねえ。
熊井:また、やりましょう!
齋藤:是非!
長距離を歩いた子どもたち。帰り道はさすがに疲れた表情を見せつつも、園が見えると急に元気に安心した様子に。
そして、ホームグラウンドでまた猫に戻る子どもたち。
道草しながらゲットした大切な木の棒を秘密の場所に。先生とその秘密を共有するのも嬉しそうだった。
園のバギーは良く見たら、段ボールの車輪が貼ってあったりして可愛い姿に。これが街を通り抜けていくと考えると楽しい。
- 企画執筆・撮影
熊井晃史
- 校正
武田将史、丹野暁江、吉田七海統、菊池香帆