廣岡周平・佐藤敬「渋谷川のほとりでの建築教育実践『この町を大事に思えるキオスク』を巡って」
この町を大事に思えるキオスク。それは、世界的建築家・伊東豊雄さんが塾長を務める「伊東建築塾」と10代のためのクリエーションの学び舎「GAKU」が連携して展開したクラスの名称でありテーマです。メイン講師は、PERSIMMON HILLS architectsの廣岡周平さんとKASAの佐藤敬さん。舞台は、渋谷川のほとりのエリア。15名の生徒が集まり2022年の秋から翌年の初春までの期間に11回の授業が開催されました。
「この町を大事に思える」とはどのようなことなのか。そのキオスクとは、町の中で社会の中でどのような存在であるべきなのか。それらの問いを抱えながら生み出された構想は、実際に渋谷川のほとりで試験的に実装されるなど、4年を経てもその成果は持続しています。そこで、活動の記録冊子から、メイン講師のお二人を交えた鼎談記事をオンラインにて公開します。より良いまちづくりは、より良い教育ときっと重なっていくものであるはず。そしてその重なりは「good stream(良い流れ)」の源流でもあるはずです。
左から、廣岡周平(建築家)、佐藤敬(建築家)、熊井晃史(shibuya good/slow stream ディレクター)
廣岡周平
1985年生まれ。2008年関西大学工学部建築学科(江川研究室) 卒業。2010年横浜国立大学大学院Y-GSA 修了。2011-2015年SUEP、2015-2016年大成建設設計部に勤務。2016年に柿木佑介とPERSIMMON HILLS architectsを設立し、「価値を重ねる」ことをテーマに設計を行う。設計の一方で自邸2軒、実家1軒を自ら施工し、つくることを通して、建築・都市・生活について考えている。
https://www.persimmon-hills-architects.com/
佐藤敬
1987年生まれ。2012年早稲田大学大学院修了(石山修武研究室)。2012-19年石上純也建築設計事務所勤務。2019年Aleksandra KovalevaとKASA / KOVALEVA AND SATO ARCHITECTSを設立。2020-22年横浜国立大学大学院Y-GSAにて設計助手、23年より非常勤講師。2022年より小石川植物祭の総合ディレクターを務める。「Best Debutant 賞」、U-35 Architects exhibition「Gold Medal」「伊東賞」、「三重県文化新人賞」、 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展「特別表彰」、SDレビュー「鹿島賞」など受賞。
https://www.kovalevasato.com/
※プロフィールは、2023年の活動記録冊子発行時のものになります。
実践記録冊子は、2023年の完成時に伊東建築塾のアトリエや建築系の大学等で無料配布されました。
キオスク?この町を大事に思える?
熊井:お二人が授業で生徒に語りかける言葉が非常に印象的だったんですね。なので「何をやったのか」というのはもちろんのこと、そこでどのような言葉が贈られたのかというドキュメントを残しておく必要があるなと強く思っているんです。
廣岡・佐藤:えー、そうですかぁ!?どんなこと話してましたっけ?
熊井:GAKU事務局では講師の方々の言葉のログを毎回残していってるんですよ。全部取り出していくと、膨大なものになってしまうので、授業のカリキュラムの順番にそって少しずついきますね。最初は、このクラスのテーマを説明するための廣岡さんの一節です。
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建築家として、建物を建てるだけではなく、それがどのように町で使われていくかというところにまで意識を向けていくことが大切だと僕は思っています。そもそも『商い』とは、自分が良いと思っているものを誰かに共感してもらいたいという想いから生まれるもの。だから、楽しんでもらうために工夫をしたり居心地のいい場所にしつらえたりする。そういうものの蓄積が、いい町を作っていくんじゃないかなと思っています。
廣岡・佐藤:おー。
熊井:おーって!ビジネスと言われることもある「商い」というものを、もう少し人に近づけようとする意図を感じます。良い「商い」が、良い町に繋がるということなんですよね。
廣岡:僕が今、道の駅の設計をしているのもあるんですが、商売をするって、もっと直感的だったり、もっと面白いものなんじゃないかなって思うところがあるんです。商いというのは他者と関係することだから楽しいもので、でもその楽しいものの根源には、自分が「これはおいしい!」と思ったり、例えば「自分が取ってきたものなんだ!」という身体感覚を他者に対して共有していくということがあると思うんですよね。
熊井:素直な気持ちの連続の先に商いも建築も町もあって良いのではというニュアンスですよね。佐藤さんの次の言葉は、佐藤さんの近年のお仕事にもつながってくると思いますし、「この町を大事に思えるキオスク」というテーマで、ショップと言わずにわざわざキオスクという言葉を持ってくることの理由にもつながっていきます。
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建物を建てるだけではなく、美術館の学芸員のように、建築家が町をキュレーションするようなことができないか。
佐藤:そうですね。やっぱり一番のきっかけは、新しく構えたアトリエが大通りに面した角地の平家の建物だったこと。もういきなり町の人との距離が近くなって、町がものすごい自分事になってきて、やっぱり建築家としてこの町に何ができるのかを考え出すんですよね。大きな都市計画とかを今の時代では、手がけることができないかもしれないけど、何か自分がいいなと思うこととか、これはこうすべきだみたいなことっていうのを、建築家として発信したりとか、人を巻き込んで動かしていくとか、何かそういうことができないかなということを思い始めたのが、小石川植物祭というプロジェクト。ぼくらの自宅の目の前にある日本最古の植物園を中心とした町の在り方みたいなものを、毎年テーマに応じていろんな専門家が集まりみんなでいろいろ考えて、それをプロジェクトとして発表して、また次の年をやってっていう感じで、自分たちが町をいろいろ考えて変えていくための、一つ何かきっかけづくりみたいなものというか、そういうビジョンを示すための場をつくってるんですよね。
熊井:まさに、「建築家が町をキュレーション」しているということですよね。
佐藤:今回の「キオスク」というのも、海外のキオスクとかに行くと、そこにおじいちゃんおばあちゃんがいて、新聞を売ってたりとかたばこ売ったりとかしている。その人がその町の色んなことをたくさん知っていて、物を売っているんだけど、それ以上にその人に会いたい話したいから来るとか、何かそういう物を売って買うっていうこと以外のことを、いろいろそのキオスク自体が都市の役割として持っているんだろうなということを思って。それで、キオスクっていう呼び方をすることで、ただの商いとは違う、そういう場所としての在り方みたいなことが考えられないかなみたいなことを思ったんですよね。
廣岡:ちなみに、キオスクのことを考えるときにでも、ちっちゃくて敷居が低いから親しみやすくなるという方向性だけで考えてはいけないようにも思っていました。やっぱり建築における「風格」って大切で。
熊井:風格!?
廣岡:敷居が高いのに自然と入っていきたくなるっていうのと、敷居が低くてみんなが何か寄ってくるというのは、まるで違うと思ってて。
熊井:ああ。
廣岡:敷居が高いのにもかかわらずみんなもう入っていっちゃうっていうのは、やっぱある種の風格のなせる業だなと。そこでは、リスペクトから生まれる何かといったものがあるんですよね。
熊井:なにかこう、非常に目から鱗のような感覚があります。それに、生徒のみなさんの作品が、いわゆる典型的なキオスクのパターンに回収されていない理由や意義のひとつが分かった気もします。
渋谷川のほとりを舞台に「この町を大事に思えるキオスク」を考える。そのために何度も現地でのフィールドワークが実施されました。
渋谷川のほとりをどうみたか?
熊井:今回は渋谷川のほとりを舞台として設定しましたが、「この町を大事に思えるキオスク」というテーマに対して、その現場でどのように迫っていくのか。お二人と一緒に、生徒のみなさんがフィールドを歩き回りました。当たり前といえばそうなんですけど、なにをどのように着目してどのように歩けば良いのかって、実はとても難しいと思うんですね。現場でどのような心構えでいるべきかというところが、感じられた時間でした。例えば、廣岡さんの次の言葉は、先程の自分自身の身体感覚を通した商いや建築のあり方というところで、筋が通されていきます。
- 建築をつくる上で、敷地選びはとても重要なもの。じっくり観察して、『ここで商いをしたい』と思える場所を見つけてほしい。その入り口として、自分が一番ポジティブに感じられたり、好きだと思えたりするものを探してみよう。
廣岡:自分の中ではいろんな視点が混在しているんですが、とっかかりって大事ですからね。
熊井:ここだ!という敷地を選ぶところから、というのも印象的でした。そこから建築行為は始まっているという。さらには、想像力を伴う観察の必要性の話に及んでいきます。これらも教室や会議室ではなくて、歩きながら、まさにそのフィールドの場所に反応する形でお二人から発せられた言葉です。
- フィールドワークは、目だけじゃなくて想像力が大切。じっくり観察して、その場にどんな歴史があるのか、そこにはどんな人が暮らしているのか、目に見えない部分まで自分なりに想像をはたらかせてみると、自然と見え方も変わってくるはず。
この遊歩道は昔、鉄道が通っていた場所。駅のホームがあった跡が残っていたり、鉄道をイメージした柱や白線のような印があったり。よく観察すると歴史の痕跡を見つけることができる。そういう場所の特徴と、その理由を掴んでみよう。
廣岡:僕はその敷地が昔どうだったかとかっていうのを考えながら歩いていたり、今何であれがあるのかをずっと考えながら歩くんですよね。それはどんな町並みを見ててもそうなんです。だから、これが森だった頃はどうだったんだろうとか、江戸時代のときはどうだったとか。
熊井:そこまで遡るんですか。
廣岡:そうですね。ここは大事な場所だったのか、そもそもここに川は本当に流れてたのかとか、そういうことを疑いながらだったり、想像しながら見ていく。それがすごく古いものだけじゃなくても、例えば、何であの扉にガムテープが貼ってるんだろうとかっていうところまで気にしています。昨日あった何かの痕跡がたまたま残っているのか、それとも日常的にお店の人たちがどうしてもぶつかっちゃって、そのきずを隠すためにそれをやってるのかとか。そういう自分が反応できる手がかりを探すということでしょうかね。
熊井:自分が反応できる手がかり。
廣岡:そう。例えば、どんなものにもつくった人や使っている人の意図はあるから、その人たちがどういう考えでつくったのかを捉えていくと、その考え方を打破したいのか、それとも、その考え方に賛同するのかっていう自分自身の考えも照らしていけるんですよね。
熊井:うわー、なるほど。過去の人やその土地の歴史とも対話していくという。
廣岡:設計の授業とかやるときには、「想いが形になるんだ。見えないものが見えるものになるんだ。逆に、見えるものが見えないものを育むんだ」という話をしてて。
熊井:うわー。
廣岡:自分が何かこう、ああこれいいかもと思った想いとか、感じていること。そういう想いが形に託されているわけじゃないですか。だから例えば、「渋谷川がかつて暗渠で、いや、裏側だからみんなこんなところもう背を向けていいでしょう」という気持ちがあの階段の風景を生んでいるわけですよね。一方で、でも「川があるこの空間、結構大事じゃん」とみんなが思っていたら、渋谷川は何か別のバリューがあったはずだと思うんですよね。だから、同じ場所でも想い方は様々だし、その反応の仕方も様々。ただ、想いも反応も、それは個性だよっていう事も伝えたかったんだと思います。
熊井:アウトプットが個性と思われがちだけど、インプットというか感じ方が、そもそもその人の個性だよという。佐藤さんの「その場にあるものの新しい使い方」というキーワードも、敷地の見方を深めたり広げたりしている印象を持ちました。
- その場にあるものの新しい使い方を考えてみよう。例えば、このフェンスにはハンガーが引っ掛けられそう。階段は少し高低差があるだけで人の顔が見やすくなるから、もしかしたら大勢で何かを鑑賞する場として向いているかもしれない。その場にあるものをなんでも利用しちゃうくらいの気持ちで考えてみよう。
佐藤:僕、実はフィールドワークに行くときに、結構頭を空っぽにして行くことが多いんですね。とにかくその場で感じることや気づいたことを無心で身体に受け入れていく。だから、今回授業としてその場ですぐ言葉にしなきゃいけないのは、ちょっと辛かった。ひとり無言でひたすら歩いてるってのも変ですからね。笑 その中で逆に言語化するときに気をつけてたのは、既にある空間を見て、自分たちが何かを加える、またはどこに面白さを見出だせるかっていうことを、具体的なイメージを持って言葉を選んでいました。
熊井:あー。
佐藤:例えば僕らがアート作品をつくる場合って割とこういうパターンが多いんですよ。場所を好きに選んでくださいと言われるので。やっぱりそのときに、どこのポイントを押さえたら、自分がやりたかったことで、この町にとって大事なことを体現できて、さらにその一点だけなんだけど、町全体に影響を与えることができるのかなってことを考えてやっていることが多いので、そういう作り手側の目線で、自分が感じた引っかかりみたいなものを発言していったんだと思います。
熊井:町にとって大事で、自分もやりたいと思えていて、さらにはそこから全体へのより良い影響があるようなポイントを探る。ちょっとお聞きしたいんですか、それって、敷地からインスピレーションを受けるのか、予め持っているプランやイメージを敷地に当てはめるのか、どっちなんですか?
佐藤・廣岡:どっちも。
廣岡:敷地からアイデアが生まれることもあれば、アイデアから敷地を見い出すこともあるし。でも、結局やっていくと、何ていうかな、建築ってこう、将棋みたいに初手を決めたものが最後まで影響していくものじゃなくて、何度でも初手を打てるわけですよ。だから、初手に対してさらに次の手がうまく伸びそうかどうかっていうのを、何回も選び直せるというところがある。だから、その敷地から考えられる初手もあれば、自分の持ってたアイデア、温めてたアイデアから始まるというのは、どっちでもいいと思ってます。
佐藤:本当にどっちもですよね。あとはやっぱりフィールドワークも、最初の空っぽの状態に行ったときと、何か考えた後に行ったときだと、同じものを見てても全然見え方が変わったりとか、それは自分たちの中でも、自分が変わっちゃうというか、そういうところは結構ありますね。だから、何回も何回もフィールドワークに行ったりするのは、ここ面白いんじゃないかと思える感覚がまた培われているからでもあります。
熊井:自分も変わっているから、敷地がまた変わって見えると。
廣岡:もうね、確認だけになってる時は、危ういよね。それが一番危うい。自分が変わらずに世界を変えようとしているときや、世界を自分にとどめようとする瞬間は本当にヤバい。
熊井:教育の分野で言うと、大人側が変わろうとせずに、子どもたちを変えようとしていることのいびつさと通じます。
廣岡:こちら側の自己称賛でしかなくなっちゃうんですよね。なので、対象敷地が近かったということもあり、今回授業を通して、何回も実際の敷地に足を運んで、アイデアをチューニングしていく経験ができたのも良かったです。
熊井:渋谷川のほとりというあのエリアに対して、何か可能性というか、面白みを感じたポイントも改めてお聞きしたいんですけども。
廣岡:あの辺りってやっぱまだちょっと生活が見える。さらに言うと、人が生きているなあという感じがちょっとしてて、やっぱ何かこう、渋谷ってもっと本当は生活が集まってきたものだと思うんですよね。今、池原義郎さんという昔の建築家の本を読んでるんですけど、池原さんって、渋谷で育って渋谷で暮らしてたんですね。ということもあって、池原さんの渋谷に対しての文章が、やっぱ当時そこで生きてたんだなということをすごく感じさせる文章で、面白いんです。生活感があって、地形と一体的で、商売というか商いが生き生きとそこにあって。
熊井:池原さん、今、調べてみたら1928年生まれなので、そのくらいの時代の渋谷の情景が伝わってくると。
廣岡:そう。それで、あの辺りは、まだその生活が感じられる。生活と商いのその両側がある。そこが何か僕は可能性として面白かったなと思っています。だから、渋谷川沿いの公共空間で花をいけている人がいるっていうのは、今回の一番の衝撃。ああいうことが場所をつくっていくということだと思っているし、渋谷に生活がある、渋谷で生きるということがあるということをそこで見れたのが、一番可能性を感じました。
佐藤:僕も衝撃はあれですよね、生け花のやつ。あれが全てを物語ってた。
熊井:あれ、ずっと続けられていますからね。
佐藤:ですよね。国木田独歩の「武蔵野」って、あれ読んでいると、自分が生まれ育った渋谷のことが書いてあって、それは今とは全然違う渋谷の風景。今の大都会からは想像もできないぐらい渋谷って昔はもう町外れだった。何かそう考えたときに、あの生け花を生けるというか、行為というのが、何かそういうのの名残というか、いまだに自分たちの庭を町の中に持っているという感じがあって。
熊井:あー。町の中に自分たちの庭があるということ。なるほど。
佐藤:市民農園みたいなボックスとか、クラフトビールのためのホップ作りとか。都市の公共的な場所と思われているところに、自分たちで何かをこう主体的につくっていくという意味では、そういう庭的な活動が行われてるっていうのは可能性があるなと思いました。あと、ちょっと野生味というか、あの生け花の人みたいに、サービスとかシステムとは関係のない活動というのが許容されているっていうことも面白かった。あの場所を管理している東急さんが許容しているっていうのも、すごいことですよね。
熊井:管理者側の受け止め方って、ものすごい重要ですよね。あそこは、もはや野性的に生まれた名所のような場所になりつつあるような気がします。
廣岡:僕は、三木清さんという哲学者の文章がすごい好きで、こうあって欲しいという想いであるとか、何かをドライブするための原動力としての「虚栄心」という言葉を使っているんですね。
熊井:虚栄心。
廣岡:そう。より良く高めようと努力するという感じで、ポジティブな意味でも使っているんです。
熊井:ああ。
廣岡:それで、渋谷川のほとりを大切な庭のようにして花を活けている人は、あの通りに対してこうあって欲しいという虚栄心があるはずで、僕らはそこに反応している。ただ裏側っぽい場所だから隠れてたばこを吸いやすいっていうのではなく、町に対してこうあって欲しいであるとか、その可能性に対して働きがけをしているんですよね。その意味でいうと、もともと暗渠で裏側だった渋谷川に対して、開口部を思いっきり開けているお店は、もう川に対して要求していると思うんですね。ここが中心であってしかるべきだと。そういうことって、面白いなと思うんです。
熊井:少し話を戻すと、先程の渋谷川のほとりでは、「まだちょっと生活が見える。さらに言うと、人が生きているなあという感じ」がするとおっしゃっていたのは、もう少し踏み込んでいくと、そのポジティブな意味での虚栄心が感じられるということなんですね。
廣岡:そう。
「野良の生花」とそれを面白がって受けとめている東急メンバーの様子は冊子でも触れられています。
腹から出てくるアイデア
- 人それぞれ個性があるから、全ての人にとって良いものを考えることは難しい。だから、まずは自分の気持ちが動くものをおさえていく。それが創作の軸になるはず。そして、それが結果的に他のひとたちにとっても良いものになることは良くあります。そこから、それを他の人と共有するときにどういうアクションが必要かを想像していけば大丈夫。そうやって一つずつ考えていこう。
熊井:テーマを咀嚼して、実際に敷地を歩いて、自分が感じたり考えていたことを振り返りながら、アイデアを創出していこうというタイミングでの一節です。今回の授業では、このように「まずあなたが、あなたの気持ちが動くもの、あなたのやってみたい、これだ!っていう気持ちを起点にしよう」ということが、繰り返し投げかけられていたんですよね。逆説的に言うと、「自分はたいして思い入れはないけど、きっとみんなこういうの好きでしょ!?」みたいなスタンスのアイデアにしないほうが良いというのが語られているわけなんですけど。
廣岡:これは、僕が日頃そうだからっていうのは結構ありますよね。やっぱり自分が響かないものを他人に伝えたりとか、強要する、または何か建築をつくるってことほど、空虚なことはないんじゃないかと思っているので。
佐藤:そうですよね。あと、TA(ティーチングアシスタント)さん、そして自分自身を鼓舞しているところもあったように思います。
熊井:生徒に向けつつも、大人側にも向いている言葉であると。
佐藤:そう。というのも、先回りして大人がアイデアを出しちゃう可能性がある。そういう時に、その言葉自体もきちんと自分たちの内側からの言葉として吐き出せているのか、そういう問いかけでもあるのです。
熊井:ああ。
佐藤:生徒1〜2人に一人の割合で、建築を学んでいたり実践しているTAさんが付いて伴走してくれていますよね。このクラスの凄みの一つに、そのような環境もあるわけですけど、そのTAさんにとっても良い学びの場になると良いんですよね。言葉によって人が動くんだということを実感してもらうということが、とても重要だから。先回りして答えを出すのではなくって、どういう問いかけを生み出せるのかということから言葉を選んでいく。そういうことを意図して言っていたのだと思います。
熊井:やっぱり「腹から出てきたアイデアは、頭だけで考えたアイデアよりも強い」ということを伊東豊雄さんも仰っていました。周りが先回りすると、そうならないという。
佐藤・廣岡:そうです。
熊井:もう少し踏み込むと、とにかく可能性の芽を見続けるという感じなんですか。
廣岡:生徒がそうあって欲しいと思うように、僕らも同じで、僕らが面白いと思ったことを面白いと言う。彼が面白いと思っている部分と僕が面白いと思っている部分が、彼は言葉にしてないかもしれないけど、僕は言葉にして面白いと言うと、そこでどんどんその生徒が、「あ、こういう面白さだったんだ」ということが分かってくるというのはありますね。
熊井:反応されることによって、自覚化されていく。
廣岡:そうそう。さらに、こういう理由で面白いんだというものが、確かになっていくと、それはその生徒にとってひとつの発展の起点になるかもしれない。だとすると、別の面白さもあるんじゃないかっていう、自分の中での構造化ができてくるというのがいいんじゃないかなと思っています。
熊井:贈り物のように言葉が交わされていくという。まさに、それを今回の授業の様子を見ていて強く感じました。仮にそのときに、その意味を十全に解釈できないことがあったとしても、約半年のクラスのスパンの中で、なにかしらその言葉が活かされていく、生徒がそれを手がかりに自分で進んでいくという。それらを色濃く感じて、この冊子をこのように制作する必要性を考えたという経緯があります。
廣岡・佐藤:へー。
熊井:へーって!
廣岡:あんまり特殊なことをやっている気分はないんですよね。
熊井:教育の一つの理想的なあり方が示されている気がします。
廣岡・佐藤:へー。
理由からの自由、理由への自由
熊井:アイデアを考える。出す。そもそも、それがどういうことかって、なかなか難しいと思うんですよね。だから、「アイデアを出しましょう!」と言われても、どうしたら良いかわからなくなる。その中で、正解とか失敗とか気にせずに「とにかく手を動かしてそれをスケッチにしていこう」と具体的に生徒のみんなの背中を押していくフレーズが、実践が進むにつれて増えていきました。
- アイデアが固まっていなくても、まずは手を動かしてみよう。頭の中で思い描いているものを書き出してみると、そこからアイデアがどんどん広がっていく。それがスケッチの面白いところです。
とにかくいろんなアイデアや方法をたくさん思い描いてみることが大切。熱中してたくさん手を動かしたら、少し冷静になってそれらを見つめ直してみると、自分の実現したいものが少しずつ定まってくるはずです。
佐藤:なかなかアイデアとかって、自分でもそれが良いかどうか分からないし、とりあえずやってみるしかないっていう感じがあるんですよね。頭の中だけにあるという状態では、誰かと共有しにくいですよね。何かつくったものや描いたものがあれば、誰かしらに反応してもらえる。自分自身も反応しやすくなる。そういう意味でも、やっぱ外に出してみるっていうことは大事ですよね。
廣岡:頭の中に想いがあるとしても、それを外に出して物質的にすると、「あれ、全然違ったじゃん」ということが起こりますよね。そこから繰り返し考える。その反復が設計だと思う。
熊井:内省したり、物質化したりの往復。そして、少しずつ形が定まっていく。
廣岡:そう。そういう思い違いを楽しめることもあるんですよ。それに、佐藤さんも言っていたけど、誰かが反応してくれて自分では気づいていなかった方向に世界が広がることもある。
熊井:やっぱり、反応をもらえるようになるというのは大切なんですね。
廣岡:それは、ホントそうですよ。あと、描くときって理由から自由なんですよね。
熊井:ほう。
廣岡:もうどんどん手を動かしたら良いんです。でも、次に選ぶときには理由がいる。
熊井:ああ。
廣岡:だからとにかくどんどん手を動かすんです。でも、選ぶということの創造性も一緒に考えていく必要があって、例えば100案の中からこの1案を選ぶっていうのはものすごく能動的な行為なんですよね。
熊井:ああ、なるほど。
廣岡:どんどん外に出して、それから選んでいくというのがスゴイ大事。
恥ずかしくないことが恥ずかしい
熊井:ちなみに、自分の考えていることを外に出して晒していくとき、怖かったり恥ずかしかったりすることってありますか。
廣岡:ああ、恥ずかしいっすよ。恥ずかしいし怖いけど、そもそも、やっぱりつくることって怖いことですよね。でも、恥ずかしくて怖くて何が悪いのっていう。みんな怖いですからね。
佐藤:常にそうです。
熊井:ほう。
佐藤:あと、その恥ずかしさと怖さがなくなっていくことも恐い気がします。それがなくなってくると、ある意味天狗じゃないけれど、そこは何かやっぱり恥ずかしくて怖いっていうのは常に持ち続けなきゃいけないなと思いますよ。何か、自分が正しいものになっちゃう瞬間、恥ずかしさと怖さがなくなっちゃうから。それは何か、なきゃいけない感覚なのかなとは思いますね。
廣岡:その恥ずかしさが何によっているのか。もうちょっと言うと、それが結構重要かも。
佐藤:そうですね、確かに。
廣岡:検討しまくって理論武装しているものは、絶対恥ずかしくなくなるんだよ。でも、理論武装してるときほど、何か本当の自分は隠れている気がするんだよね。理論武装してないときの、でもなんか俺は直感的にこれがいいと思うんだよね、というほうが自分らしいなと思ってて。だからむしろ、恥ずかしいと思えるものが世にできているのはいいことだとも思ってる節もある。自分で取り組んできたもので、がちがちに理論武装して世に出していったものはあまたあるんだけど、やっぱそれはね、恥ずかしくはないけど、恥ずかしくないことが恥ずかしいよね。
熊井:スゴイ赤裸々にありがとうございます。
廣岡:はははは。すごいハイコンテクストな話だけど。だから僕も、今ずっと自分の取り組みの中で自己反省してて、恥ずかしいものほど、自分の内側から出てきているし、そういうものほど、他者にこれはどうなのかということを言われる。
熊井:どうなのかっていうのは。
廣岡:何でこんなことになったみたいなのを言われるから。自分でつくった自宅とか。ちゃんと説明できない部分が多いから、問われるとへらへらしちゃう。ちょっと恥ずかしくて。
熊井:恥ずかしくて。
廣岡:そうそう。そうですね、言われるよねと思いながら、まあでもこうしたかったんだよねって言ってへらへらしちゃう。
佐藤:かわいい。
熊井:ちょっと話が飛ぶんですけど、生徒の発表に対してのフィードバックの際に、特に佐藤さんが「素直」っていうワードを良く使うんですね。なんだか、それが非常に新鮮に感じられて、素直さに価値が置かれるということが、今の恥ずかしさの肯定という話にもつながっていくな、と。例えば、「あ、これは素直に出てきた造形だね」とかなんですけど、それを聞くことで「確かに」と妙に腹落ちもあるし、人の心を動かすことがあるな、と。
佐藤:なるほど。そういうまっすぐさや無垢さというものは、やっぱりみんなの魅力ですよね。
廣岡:ポジティブなワードとして使っているのが面白いなと思うんだよね、それを。
佐藤:そうそうそう。だからなんかこう、言葉にし切って、形にし切って、いろんなものが強く深まっていればいるほど、弱くなるときがある。
廣岡:そうそうそう。さっきの理論武装し過ぎたときに出てくる弱さだと思ってて。
熊井:無垢的な弱さが本当は強くて、肩肘を張った強さが弱さに転じる。硬いもののほうが折れやすくて、しなやかなほうが丈夫みたいな感じなんですかね。
佐藤:そうですね。それに、言葉にできてない部分を感じられて、それがこれはすごいっていうことを感じられる。それが素直さというものだと思っているのかも。多分そういうポジティブなワードとして使っている。そうなんだ。よく使いますか。全然、意識してなかったです。
廣岡:心が一番最初に動いたことがもう全てみたいなところはあって、それをつかまえたままいくためにも、素直さは大事なんですよ。
何が本当に大切かを、自分とみんなで実感する
熊井:先程、廣岡さんから選ぶことの創造性といったお話もあがりましたが、実際授業を進めていくにあたって、その初動では質より量といったニュアンスでまずはたくさんいろんなアイデアを出していくんですけど、次第に、しっかり選んでいくということが強調されていきます。
- アイデアの『最小限』を選んでいきましょう。選ぶことは創造性を高める行為。色々な要素を盛り込みすぎず、空間の中で『これが一番大事!』と、シンプルに説明できることが大切です。
廣岡:ばーっとたくさん出す。そして、何が大事なのか、ここで何をやりたいのか、やるべきなのか、それをできるだけ言語化もして、その中でひとつを選んでいくっていうことが大事だと思うんですね。1つ選んだことによって、その形の見え方とか、もうちょっとここは補正したほうがいいというのが見えてくるはずなんです。
熊井:選ぶことによって、磨かれていくという。
廣岡:そう。
熊井:もうちょっとお聞きしたいんですけど、選ぶということは、つまり選択肢にしなきゃいけないじゃないですか。
廣岡:うん。
熊井:言語化という話もありましたが、選択肢にするためにはボキャブラリーも必要だと思うんですね。つまり、一体自分は何と何の中から選んでいるんだろうかというところをどこまで自覚的に深く理解してやっているのか。そのあたりは結構難しいんじゃないかなって思うんですけど。
廣岡:でも、そんなことない。
熊井:ほう。
廣岡:それは、自分だけで選択肢をつくらなきゃいけないと思うから大変なだけで、誰かに話を聞くと選択肢は無数に生まれるから、だからいっぱいいろんな話を聞いて、その中から結局何が大事なのかを選ぶのは自分だと思うので。
熊井:あー、廣岡さんはなんかとことん、他者にひらいていくんだなという感じがしてきました。それに、確かに自分だけでやるのは大変なことも、誰かに委ねたり、反応をもらうことができたら、選ぶという行為がしやすくなる気がします。
廣岡:それに、そもそも間違ってもいいんですよ。受講生もそうだけど、基本的に最初の99%はうまくいかないから。だから、それで世界を変えようなんて思うというよりは、自分の世界を変えることが大事なので。失敗しても、あっ失敗したと思えたことは自分の世界が変わっているから良いことなんですよね。まずは、その無数の選択肢は自分でも出すし、僕らもTAも多分何か別のことを言って選択肢が増えたり、そこの理解も深まるから、その中で選んでいくことのほうが大事。
熊井:そうか、そっか。なんか失敗を恐れず、普通に話し合えばいいってことだよね。で、どんどん自分自身の変化も楽しむという。
廣岡:そうそうそう。
佐藤:若干脱線しますけど、僕の元ボス、石上純也さんによく言われたのが、VE(バリューエンジニアリングの略で、性能を下げずにコストを抑えること)でコストダウンするときに、僕らスタッフはいろいろスタディして「これだったら予算に収まります」とか言って提案するわけです。そのときに「なんでVEして案が良くならないんだ」ってよく言われる。なんでコストを抑えているのによくなるんだよって思う気持ちもゼロではないんだけど、でも石上さんの想うところの本意は、今の話と同じで。
廣岡・熊井:あー。
佐藤:要はVEする前って、あれもやりたい、これもやりたいで、自分と施主のやりたいことがもう盛りだくさんになってるから、結構ぜい肉がついた状態。そこから本当に切り詰めていくときに、施主も本当にこの部屋が要るのかとか、この仕上げでいいのかとか、自分たち計画者もこの案の一番核となる部分はここなのかみたいな、一回その辺の審議が行われるんですよね。そうすると、やっぱVEすると、ああ何か施主や自分たちが本当にやりたかったことってこういうことだったんだって。ぐっと、こうチームが締まる瞬間があって。
熊井:うーん、これだ!と心がより通い合うみたいな。
佐藤:そうそう。だから、なにかこう減らしていくときって、因数分解していくときの素数は何かみたいな話ですけど、何かそれっていうのはデザインにとってめちゃめちゃ重要なプロセスなんだろうなと思いますね。
廣岡:それはもう、間違いなくそうだと思う。
佐藤:そうですよね。
熊井:色々と肌身に迫るお話が聞けて嬉しいです。
廣岡:だんだん足してっちゃうんですよ、やっぱり。何かやってくと、これもいいな、これもいいなって。
熊井:それは分かる気がします。
廣岡:だから、さっきの僕の自宅の「失敗」というのは、僕は足していくタイプなんだけど、結局みんな引いた姿が見たいんですよね。僕は別にお金があったわけじゃないけど、全部自分でつくっちゃうから、ぜい肉がついたままになっている。でも、そのぜい肉がついたままのことが面白いと言えるんじゃないかとはずっと思ってて。
熊井:あー。また話が展開されてきましたね。
廣岡:そう。それが簡単には伝わらない。ただ例えば、東京の下町とかで自宅の前の道に、植木鉢をばーっと置いてる景色をみますけど、あれはもう完全に建築にとってはぜい肉じゃないですか。
熊井:建築にとっての余計なもの。
廣岡:そう。でも、道にとってはぜい肉じゃないかもしれない。余計じゃないかもしれない。
熊井:確かに。
廣岡:そういう営みを、どういう視点でぜい肉と言えるのか、または言えないのかっていうのは気になっていたから、やってみるしかないと思ったけど、でもやっぱそうすると言語化が行き届いてないところができて、その言語化できてないけど素直にそれがいいと思ったんだよねっていうことが残っちゃう。
熊井:先程の「素直さ」の話にもつながっていきますね。
廣岡:そう。それが難しさの一つで、最小限にしていくと、分かりやすくなりすぎちゃうこともあるから。様式美の建築の世界だと、何でこんな余計なものがいっぱいついてるんだっていうことの中に本質もある。他者に共有していくための方法を物質じゃなくてストーリーでやるためには、アイデアを最小限にしていくというのは結構重要かなと思ってる。
熊井:自分で分かりやすく話せるかどうかということですね。でも、建築された物そのものが説得力がある場合があって、それはその限りではないという。
様式と形式の違いと説明できないところの豊穣さ
佐藤:まあ、様式ってぜい肉じゃないですか。形式じゃなくて様式。でも、逆にそこに時代の本質はあるっていう気はしますよね。
廣岡:そう、そうなんだよね。
佐藤:形式だと、例えばA4とかA3とか、JPEGなのかPDFデータなのかって、ユニバーサルなフォーマットの話になりますよね。様式はそれとは違って、独自性がある。建築だと例えば、ゴシックとか、ロマネスクとか。
廣岡:そう。形式化しやすくて反復しやすいアイデアって、やっぱ分かりやすいしみんなで共有しやすいじゃんっていう話なんだけど、さっきの風格の話でいうと、別に分かりやすいからって風格が出るわけじゃないっていうのが、昔の建築からは感じられるんですよね。
熊井:あー。
廣岡:例えば、昔の建築家の渡辺仁さんによる横浜のホテルニューグランド。
熊井:今調べたら、1927年開業で、横浜市認定歴史的建造物で、近代化産業遺産認定も受けていますね。
廣岡:そう。ぜい肉だと思われてしまうものの中に本質があるみたいなことで言うと、すごい文学的に語られていて、「横浜の海の青い光を拾うためにこういうことになっている」という。
熊井:うわ。スゴイ。
廣岡:表面の話をすごいするんですね。何でこのレリーフになってるのかとか。それを言われた瞬間に、僕が見落としてたものも、語らなければいけない言葉も、たくさんあるなって。ぜい肉と言いつつも、アイデアの骨格は当たり前にちゃんとあって、それはきっと、横浜の海に対してどういう存在でありたいかっていうこと。関東大震災のときに焼け野原になって、何も建ってないところで、外国の方々を迎え入れるためのホテルとは何だっていうことを、建築的に答えていったのがホテルニューグランドであったっていう。
熊井:まさに風格とも言える凄みというか、土地や役割や時代に対する覚悟も感じますね。そうやって話をお聞きすると。
佐藤:大学時代の師匠・石山修武さんがよく言ってたのが、モダニズムが様式としてグローバルに普及していったのは、バウハウスという教育と共に、ある種形式化が図られたからだと。誰にとっても分かりやすい理屈があった、例えば合理性と機能性。ああそうだよねと言って共有しやすいからそういう論理と共に流布してったと。だから、これもまさにそういうことなのかもしれないですね。僕らが近代建築の教育の中で育てられているから…。
廣岡:シンプルな説明ができるといいぞみたいな。
佐藤:そう。
廣岡:ただまあ、きっと初学者には必要なんですよね。
佐藤:そうそうそう。
廣岡:これが大学院2年とかあるいは建築家として5年10年ぐらいやっている人だったら、分かりやすくしないといけないけど、それだけでもないという領域の話をしないといけない。
佐藤:うん。説明できないところの豊穣さというのはあって、もちろんそこを見る視点もあるよねっていうことなんですよね。なるほどです。
想像を膨らましながら実現性を考えるということ
熊井:建築教育に特殊性があるとしたら、まさにこのフレーズがそれだなとも思うんですけど。
- 自由に発想することと実現性を考えながら形にすること。それを両方やるのは本当に難しいこと。でも、いい建築をつくっていく上ではどちらも必要なものです。だから、実現が難しいと思ってもすぐにアイデアを諦めないで。その部分は、どうやって形にするかを一緒に考えていこう。迷っているところは一旦別のものに置き換えて進めてみよう。
熊井:アクセルとブレーキを同時に踏むというか、使い分けるというか、非常に曲芸的な難しさを感じるんですね。まだこの世にないものを構想しつつも、それをこの世で実現というか物質化する。驚きというか意外性がありつつも、そこに必ずあるべきという必然性も感じさせるものをつくる。なかなか、スゴイことだなあと。妄想とも言える夢を広げつつも、必ず最終的にはつくるぞ!って。結構、そのどちらかに偏ることが多い気がするんですけど、そのどちらも追っていく。
廣岡:確かに。発想を広げていきながらも、どうやってつくるのってやっぱなっちゃうもんね、僕らは。
佐藤:でも、どうやってつくるのって僕らが聞くときって、それが相手のドライブになるときが多いんじゃないですか。逆に、なんか本当にできなさそうなアイデアに対しては、どうやってつくるのってあまり言わない気がしてて。
廣岡:ああ、そうか。
佐藤:つくり方自体が何かアイデアの骨格をつくって、面白くしていける場合は言うかもしれないけど。
廣岡:それはそうかも。このアイデアがどうやって実現されるのかって考えることによって、そのアイデアがすごいより強いものになるって思えるものがあるんですね。
熊井:あー。
廣岡:「つくると面白そうだよね」って思えるっていうのは、結構重要な話だなと思ってて、そういうアイデアの場合や、アイデアがそういう段階まで来てたら、今はもうつくり方を考えたほうがいいねって言うかも。
熊井:こんなのできたらいいなっていう構想力を一旦羽ばたかせたほういいパターンもあれば、実現性を捉えながらやったほうがアイデアの強度が出るという。
佐藤:実現性というよりは、技術=テクノロジーって感じですかね。例えば、バックミンスター・フラーとかは、テクニックから出た人だと思うんですけど、それでも何か世界的な広がりを持つじゃないですか。思想がとても強くひらかれている。接合部のアイデアだけでいろんなものが自由につくれるようになるとか、そうすると構想力が全然変わってくるかな。何かそういう視点かな。
熊井:ああ、なるほど。テクノロジーやその使い方そのものが構想力を帯びているということがあるわけですね。一方で、実現性だけに起点を置くと、実現できる範囲という枠から出れない。
廣岡:それがよくないなと思ってて。すぐに着地しそうなアイデアをぱーんって出しちゃうのはよくない。というか面白くない。創り出すものの存在そのものを問われている中で、実現可能性だけが論点になると危ない。
熊井:これができそうだからやりましょうって感じになっちゃう。
廣岡:そう。
熊井:むしろ、できるかできないかまだわからないけど、こういう存在のものが必要ですよね、という次元から話を始めないといけないということなんですよね。
廣岡:そうそうそう。
熊井:だから、その極端な言い方をしちゃうと、「できなそうだけどやりましょう」というその態度が非常に両利きというか、そこにクリエイティビティが宿るんだろうなという凄みは感じます。
寸法に感情を乗せる
- 実際にその場所にキオスクを展開したら、町にどんな良い影響を与えられるだろうか。町の景色や人の営みはどのように変わるのか。キオスクのスケールや展開される敷地を確認するとともに、町やそこに訪れる人の視点にも立って改めて考えてみよう。そして、寸法もひとつのメッセージ。居心地がいいとか座りやすいとか、寸法に自分の感情を乗せることでアイデアの強度も増していくと思います。
佐藤:僕も、この言葉好きでした。寸法に感情を乗せる。
熊井:よかったですよね。
廣岡:へー。誰が言ったの、これ。
熊井:廣岡さんですってば。
廣岡:まじで。
佐藤・熊井:まじで言ってた。
佐藤:僕もこの言葉どんどん使っていこうと思ってるんですよ。自分にも、自分の事務所のスタッフにも。「これ寸法にちゃんと感情乗ってるの?」って。
廣岡:すげえ、こんなこと言えるんだ。びっくりしたなあ。
佐藤:この授業の帰りの電車でも、思い出して震えてましたからね。
熊井:かなりぐっと来てました。私も。
廣岡:へえ。きっとこのときに、さっきの話の「想いが形になること」をずっと考えていて。寸法という物理的な測れるものに対して、想いとか感情というものは、形にする前のもやもやしたものじゃないですか。感情を乗せれるかどうかっていうのは、つまり、想いと形を一致させるということだから、確かに自分がめちゃめちゃ言いそうだなと思ってきました。
佐藤:寸法っていうものは、共通のユニバーサルなものじゃないですか。
熊井:はい。
佐藤:ユニバーサルなものなんだけど、それにこうパーソナルな感情っていうのを乗せる。だけど、建築家の仕事って何かそういうものだなと思って、感動したんです。
熊井:ユニバーサルなんだけどパーソナル。
廣岡:今、僕らが話しながら囲んでいるこのテーブルって、ちょっと微妙に低いじゃないですか。ここでスタディするって、高校生も多分俺らとあんまり変わらないスケール感だから、描くことよりもぱっと眺める、全体を眺めることのほうがやりやすい高さだなと。これが、72、73cmの普通の規格のテーブルだと、描くことが一番大事になる。ここの、この高さのこれだからこそ眺められて、ちょっとゆったりしてそれを見ることができるということの、その感情って何だってことが言えるというのは結構大事だと思っていて、今の世の中って、大体机っていったら72、73cmでしょうみたいな感じで決まっていっちゃう。
佐藤:規格をそのままね。
廣岡:そうそうそう。でも、昔の人たちは、机なんてほとんどなかったし、ちゃぶ台なんて多分全部同じ高さじゃなくて、各家で微妙に変わってただろうと思うんですよね。だから、うちのちゃぶ台は高いとか低いとかっていうのは、江戸時代なんか絶対あったはずで、そういう個別性のある寸法については、考えなきゃいけないことなんだろうなと思っていますね。
熊井:今日の、この鼎談というか収録の前もびっちり授業をしていたわけですけど、そこでもハッとさせられたんですね。飛行機がすごく好きな生徒さんが、飛行場の近くという敷地を想定して、そこでの学びの場を構想している。そこで、まさに寸法だったり、スケールの話になっていましたけど、廣岡さんがなんて言ったかというと、「この人数で集まるからこれくらいのスケールにしようというように、寸法の根拠を置かなくていいのではないか」と。
廣岡:ああ、言いましたね。
熊井:根拠の置きどころを捉えるって、なるほどなあって。じゃあ、別の何に根拠を置こうとするのか。例えば、飛行機が好きだし、飛行場も近いわけですから、飛行機という存在との対比というものがその根拠になるかもしれないし、そこに集まりたいと思える感情が根拠になるかもしれない。その置きどころを変えるだけで、かなり違う次元がひらけていくんですよね。
廣岡:それはホントそう。
ステートメント性をはらむ建築と共有のグラデーション
熊井:ところで、そのー、先程出た話でもあるんですけど、意外性もあるけど必然性もあるといったニュアンスで、独自性を追い求めていくけど、それを共有していくことも同時に求めていく。それも、やっぱりスゴイ曲芸的だなあと思うんですよね。それぞれの生徒の固有性といったものに着目もしつつ、それが共有されていくことにも重きをやはり繰り返し置かれていました。
- どのアイデアもとても良く考えられていて、話を聞いていてとてもワクワクしました。大切なのは、それがより良く伝わったり共有できたりすること。
佐藤:これなんか建築の本質的な話なのかなともちょっと思います。建築ってできあがってみてそこで体験できたりとか、感動する人がいたりとか、違和感を感じる人がいたり、実際の体験を伴って人を動かす力があると思うんですよね。それで、その人たちが次のアクションを起こせるという。そういうステートメント性を建築はやっぱりはらむべきだし、はらんできたものだろうから、そういう意味でも、アイデアが誰かの頭の中だけで終わってしまうと、ただそれがそれだけで終わっちゃうんじゃないかなとは思いますね。
廣岡:僕もすごい共感。さらに言うと、共有とか、わかってもらえるといった話って、いろいろな視点があって。
熊井:ああ、先程もちょいちょい話しに出てきますね。
廣岡:そう。例えば、コピーライターもやっぱ最終的にはひとつしか選べないじゃないですか。しかも短い言葉。コピーライターだって言ってるのに、小説みたいなのを書いてきたらやばいじゃないですか。
熊井:そうですね。
廣岡:この一言にまとめていくっていうことが共有しやすいし、かつこの共有されるっていうことで、また新しいアイデアを生み出す可能性があるっていうのは、すごい重要だなと思ってるんです。
熊井:分かりやすく、共有しやすくすることの必要性。
廣岡:そう。でも、一方で、気づきにくいけどいいアイデアもある。だからぱぱっと共有されないし、わかってもらえないんだけど、なにか後世に伝わっていくっていうことも大事な側面だとも思っている。
佐藤:それは、ホントそう。
廣岡:今回僕らは、スケッチをじっくり見る時間をたっぷりとることはなかったけど、生徒の中には結構細かく描いてる子がいっぱいいたんですよね。それで、ぱっと見で共有されてないけど、ちっちゃいそこにあるアイデアってめっちゃ大事だったりすると思う。だから、それらにこちらからしっかり注目していくことが大切だし、時間差があったとしてもそれを拾えたときのこっちの受け取った喜びもあるなと思いますね。
熊井:共有にもいろんなグラデーションもあるし、時間差もある。そして、発信することの大切さもありつつ、やっぱりそれを受け止める受信者側の態度も求められるということですよね。
廣岡・佐藤:そうですね。
つくるということがお祭りになること
熊井:このクラスの最後に、伊東豊雄さんも含めて講師のみなさんの前で、生徒が発表するじゃないですか。
廣岡・佐藤:はい。
熊井:結構緊張すると思うんですね。で、生徒それぞれに個別にフィードバックがあるわけなんですが、生徒のアイデアを受けて、講師のみなさんがスゴイ白熱した議論をするじゃないですか。しかも、その生徒の前で。
廣岡・佐藤:はい。
熊井:その時間が結構好きで。スゴイ大人がマジで議論をしている様子って、なかなか見れない。しかも、何に対して議論しているかというと、生徒の方々のアイデアに対して。
廣岡・佐藤:はい。
熊井:建築の領域では当たり前なのかもしれませんが、珍しいというか尊いというか、そういう時間だな、と。それで、最後に、総評的な話で出てきたフレーズです。
- これだけ僕たちの議論が盛り上がるということは、皆さんのアイデアに人を動かす力があるということですよ。
廣岡・佐藤:ああ。
廣岡:僕ら自身が、ふと描かれたスケッチとか、つくられた模型から感じ取れるもので、つくっている側が意識しなかったかもしれないけど、なんかこうスゲエなって思う瞬間があるっていうのは、醍醐味というか。僕らが真似したくなっちゃうものもありますからね。
熊井:講師も刺激をうけると。
佐藤:だって、10代と伊東さん含めて、幅広い年齢と立場の人がヒエラルキーなく、模型とかスケッチをもとに話ができて、さらには、社会や政治の問題、食や環境の問題の議論に発展していく。それはやっぱり、建築の魅力だろうし、GAKUでの活動の魅力なのかなとは思いますよね。
熊井:生徒のアイデアに人を触発させるパワーがあるっていうことですね。
廣岡:そうですね。とはいえ、もちろんどの大学でも議論は盛り上がるんですが、ここでの活動が特殊だなと思うこともあって。
熊井:え、気になります。
廣岡:建築でありながら、それっぽくないというか。あらかじめ決められているところに収束していかない感じがあります。
熊井:予定調和じゃないというか、どうなるか分からないことの面白さあるということですかね。
廣岡:そう。建築っぽい形から始まって建築っぽいところに収束していくんじゃなくて、もうちょっと「建築ってそもそもなんなんだ?」という問いがあるし、それこそその問いをみんなで共有できているから。建築ってなんだ?っていう問いを考える議論の輪に、今回東急さんが参画してくれているのも良かった。
熊井:それはどのあたりに感じていますか?
廣岡:そもそも建築ってなんなんだという自由な感覚もありつつ、渋谷川のほとりという敷地の具体性もちゃんとあるというところ。それに、あのストリートの生花のような野性味のある生活の営みに対して寛容性があるところ。そういうスタンスの東急の方々とお話できたのがスゴイ大きいものがありました。
熊井:懐深く見守ってくれていましたよね。
廣岡・佐藤:ねえ。
熊井:かつ、やっぱりそこに、東急さんの息遣いというか想いみたいなものを感じれたり、具体的な敷地の話もあるから、建築というか、建築教育が実りのあるものになりやすいということですかね。
廣岡・佐藤:ホントそうです。
廣岡:東急さんにもいろいろな部署があるかと思うんですけど、今回、授業に来てくださった方々も、みんな人間らしい生活をイメージしていて、こういう活動にコミットしてくださるのは救いだなって感じましたね。
熊井:建築が、施主を含めていろんな人とのより良い共犯関係によって、より良く立ち上がっていくのと同じように、教育も同じようにより良い関係の中で育まれていくというところがあるんですよね、やっぱり。
廣岡・佐藤:それも、ホントそうです。
熊井:そういう意味でも、そういうポジティブな「お祭り」が社会に広がっていったら良いですよね。全11回の授業の中で語られたお二人の言葉を少しずつピックアップしての振り返りでしたが、結局かなり長時間かかってしまいました。授業直後にも関わらずありがとうございました。
佐藤:またこういうのやりましょうよ。
熊井:そうですね。なんか楽しかったです。記事ができたら、生徒のみなさんにも読んでもらいたいし、建築や教育に関心ある人にも届けていきたいと強く感じました。ありがとうございました。
廣岡・佐藤:ありがとうございました!
生徒の平田里帆さんのアイディア「Flower Shop」。渋谷川のほとりで摘まれた草花を織り交ぜたお花屋さんを通して、この町への想いを育むというものでした。fiore soffittaさんの協力のもと、これまでに2度の実現が叶っています。
- 企画執筆
熊井晃史
- 撮影
佐藤海、立山大貴(shibuya slow stream)
- ロケーション
GAKU