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shibuya slow stream vol.23「予感良好」 ふりかえり考察トーク

イベントを実施して、おしまい。それは、「ビルを作っておしまい」の街づくりとどこか似てきます。shibuya slow streamは、そうであってはなりません。企画や準備に心を費やして迎えつつ、その成果をどうやって積み重ねていけるか!?というところが大事なはず。というわけで、心に留めておいたり、次に活かしていくための手応えや感触って何だったの!?それを一同でふりかえって考察していく時間も大切にしています。ここでは、その一部を当日の様子とともにご紹介します。

今回のテーマ:「予感良好」

良好な予感。予感の良好。良い都市には、気持ちや足が向く何かがあります。でも、その何かというものは、野生動物のように、追えば逃げてしまうようなものであるようにも思います。意図的につくろうとしても、叶わぬものであるようにも思います。なんだか分からないけど、と言うよりも、その分からなさこそが持つ引力。

背負いがいのある言葉

いやー、またしても時間かかっちゃってスミマセン。

-レポーティング、いつになるんだろうって、ハラハラしてました。でも、みんな熊井さんが忙しいのを知っているから、あたたかく見守る姿勢を貫いてくれています。

いやー、現場で起こったこと、それを受けて考えたこと、それまで考えていたこと。文献を読み込んだりして印象に残っていること。なんか残していくことの必要性を感じつつも、アーカイブとは何か?どうあるべきか?というところからいちいち考えちゃって。

-大切な問いですよね。

あと、「予感良好」というテーマを掲げたときに、キュレーターの宮﨑くんが、「自分たちで、自分たちがやることに対して、良い予感ですみたいなことを言っちゃって良いんですか?」みたいなことを進言してくれていて、もっともだと思いつつ、それでもなお、その言葉を別の角度から掲げる意味があると感じていて、それについても考え続けてました。

-そんな一幕ありましたね。

で、まあ、当然、その言葉は誰に向けたものなのか?というものが問われますよね。

-どのような人に向けられた言葉か。

そう。で、誰にたむけられている言葉なのか?と同時に、というよりもむしろその前に、誰が背負うべき言葉なのか?その言葉はしっかり背負われているものなのか?ということをやたらと気にかけているんだな自分は、ということを改めて気がついたんですね。

-言葉を背負う?

えっと、渋谷の駅前広場で開催しているslow streamですが、目まぐるしく変化していくこの都市のなかで実施することの意味とか、そもそも、その変化を担う東急株式会社さんの活動の一環という側面もあるじゃないですか、このslow streamが。そうしたときに、「良い都市とは何か?」という問いを掲げて、そのなかで毎回テーマを変えていますが、今回のテーマである「予感良好」というのも、「良い予感がする都市って、良い都市だよね」ということなんで、そういうことなんであれば、それを深く考えたり、そのための新たな試行錯誤を見出していく。つくって終わりじゃない都市開発同様に、やってお終いじゃないイベントを目指すんであれば、そのようにして、背負いがいのある言葉を設定していかないとなんだよなあって。

-「背負いがいのある言葉」って良いですね!

この仕事をそういうこととして考えているところがあります。

最近は、その時、広場にいた人たちと集合写真を撮るようにしています。空間演出はyggpranks

タイムテーブルも一緒に描きましょ

100beasts★piñataのメキシコのお祝いくす玉。オープン時に、みんなで開催を祝ってお菓子をget!

都市で寝っ転がれるっていいな

白目のお二人と、広場にあったおもちゃのウクレレで参加した女の子

座れる場所がたくさんあります

会場の広場は渋谷川のほとり

「音響民主主義」が予感させる社会

-それじゃあ、「良い予感のする都市」ってどんな感じなんでしょうね。

ねえ。何か新しい出会いがインスピレーションを与えてくれる。旧友とたまたま出会えたりして自分の寄って立つところを確認できる。そういう面もあるかもしれませんよね。

-そういう出会いの半分くらいは、都市じゃなくて、インターネットやアプリの話みたいですね。

うわ。出会いは、都市ではない場所で訪れるものになったっていうね。うーん、まあ、少なくとも、出会いを育む場所ではあり続けて欲しいとは思います。ところで、「音楽が未来を連れてくる」というなんともグッとくる名前の本がありまして…。副題が「時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち」で、ビジネスやエンターテイメントの新しい常識というものは音楽が牽引していたということが著されているんですね。音楽が未来を予感させるものだった、という。

-予感!

そう。で、この本は終始冷静な筆運びなんだけど、最後の方で「イノヴェーションは決して技術やアイディアだけで生まれるのではなく、人の魂の成長が深く関わっていると思い知った瞬間だった」とアツい回述があるんです。それを読みながら、頭に浮かんでいたのが、オーネット・コールマン(Ornette Coleman, 1930-2015)で…。

-オーネット・コールマン???

フリージャズの先駆者で、サックスを奏で、多くのセッションを重ね、作曲も手掛けていた人です。「ジャズ来るべきもの」というアルバムも出しているんですが、その彼が「音響民主主義」という言葉を残しているそうなんです。

-わ!

ドラムは、リズム。ベースは、コードの基礎。ピアノは、和音。管楽器は、メロディ。といった役割分担が明確で固定的だった習慣を大きく揺るがしたそうなんですね。で、すべての演奏者が「平等」に音を出すということが目指されていて、それが非常に画期的だったと。すべての演奏者がメロディやリズムを持ち寄り、互いの音に耳を傾け合うことで生まれる音楽が目指されてて、「音の階級制度」を取り除いたとも称されているそうなんです。「音響民主主義」というネーミングからも、それらの態度や意志が感じられます。

-あるべき社会が、バンドのあり方としても、音響的にも、表現されている。「持ち寄り」っていうのも良いですね。ピクニックみたい。

まさにそうで、そういう音楽が、あるべき社会を予感させるものだったんじゃないかなって。「政治の季節」と呼ばれることもある1960年代において、音楽のあるべき姿とは?という問いが、そのままに社会のあるべき姿とは?というものと重なっていたようにも思います。で、まあ、そういうことの試みが、現在において無効かというと、決してそうではない。

-熊井さんがよく言う、広場がどうあるべきかは社会がどうあるべきかと一緒の話ってやつですか?

そうそう、予感というものをそういうこととして考えることもできますよね。あって欲しい未来を先取りする行為としての予感。

新しい部屋

横手ありさ

鳴らした場合

seaketa

工藤夏海の人形劇の人形

グラフィック担当のsomedarappaとわなげボーボーのテル

Kivicandleさんのキャンドルすくい

おしるこちゃんのDJ体験

プロセスが目的を正当化する

いつもこの「振り返り考察トーク」が、文字が多いのは自覚してまして…。今回は、文字を少なめにしようかなと思っていたのですが、既に、長くなってきてしまいました。

-あはははは。でも、まあ、大切ですよね。

と、信じてはいます。だし、「目的が手段を正当化する」のではなくて、「手段だったりプロセスが、目的を正当化する」ということを、ついつい考えちゃうんですよね。

-どういうことです?

「目的が正しければ、手段はある程度フリーハンド」みたいな話って、わりと多いじゃないですか。目的のためには、手段を選ばないというか。それもそれで、分かるし重要な気がするんですが、そこでの目的やビジョンというものって、なんかいかにようにも言えちゃうじゃん、とも思うんですね。素敵なビジョンやミッションを掲げれば、全部うまくいくし、納得がそこに生まれる。なんて、ことはそれほど簡単な話じゃないですよね。

-たとえば、太陽光パネルが環境に良いからってそれを目的に掲げて、そのパネルを希少動物も生息するような自然環境を削りまくって設置するという手段をしたとしたら、そこに正当性というものは本当にあるんだろうか?っていう感じですか。

ですよねえ。「その目的に対する手段やプロセスが誠実である。だから、掲げている目的がもっともらしく感じられる」って、当然あるし、なんかそっち方が大事な気がしてて。

-ちゃんとやってるな、信頼できるなって。

そうそう。そのちゃんとさって、slow streamで言うと、いちいちこうやってダラダラと都度都度、「良い都市とは何か?」という問いを背負って、現場でも考察でも、応え続けていくことでしか生まれないよなって。

-そんな感じがします。

工藤夏海の即興人形劇場

大人も子どもも、みんなで楽しい

月を見上げる時も訪れます(横手ありさ)

渋谷川の上の空間のビルの隙間から見えた月

服部峻

山田俊二と和山椒

ポエジーと人間の出会いの場

なんか、何を成したら仕事をしたことになるのか?って、ずっと考えているんですよね。本当は、渋谷川が今よりきれいになってトンボとかホタルとかが棲めるようになったらなって願っているんですけど、それも当然簡単な話じゃない。

-渋谷川沿いでは、スパイラルクラブがビオトープづくりはもう2年以上続けていますよね。わたしも、もともとはその活動がきっかけで参加したのでした。

そうそう。よく続けてくれているなとも思うし、あそこでトンボのヤゴが育ったときの感動はひとしおでした。あの活動は、渋谷川そのものがこうなったらいいなっていう願掛けみたいなものなんですよね。まあでも、当初はタバコのポイ捨てとかゴミの投げ入れがビオトープにあるかもしれないというリスク意識もあったんですが、心配は気苦労で終わって、都市における人への信用というものを考えるきっかけにもなりました。

-やってみて分かったことってたくさんありますよね。

はい。まさにそうやって、プロセスを重ねていくことでしか、仕事の正当性を担保できない気がしちゃってて…。正当性といえば、ノーベル文学賞も受賞していた、メキシコの詩人のオクタビオ・パスが詩論でこんなことを書いています。「おそらく書くということを正当化する唯一の理由は、書くという行為が、ある日われわれがわれわれ自身に発した問いかけに、そして、その回答が得られるまでは、一瞬たりともわれわれを安閑とはさせておかないあの問いかけに、答えようと務めている、という点に求められるであろう(オクタビオ・パス、牛島信明訳「弓と竪琴」より)」って。

-問い続けるということ。

slow streamの場合は、「良い都市ってなんだろう?」って。で、彼は別の箇所で、「詩なしでも、ポエジーは存在する。風景、人物、時事などはしばしば詩的であり、それらは詩であることなく、ポエジーでありうる」として、「詩は文学形式ではなくてポエジーと人間の出会いの場である」とも言っているんですね。

渋谷川沿いではSpiral Clubのビオトープ観察会

この日のビオトープの観察会にはワンちゃんも来てくれました

City is our Dancefloor booksとBooks and Placesによる「都市文化再考図書」

日記屋 月日

Drinkupper

立ち呑みたこちゃん

朗らかな空間の創造

-「ポエジーと人間の出会いの場」!

場は詩的であり、言葉も一つの場的であるという感じ。で、なんでそれを言う、オクタビオ・パスをつらつらと読み直していたかと言うと、で、現場でそういうことを感じたんです。終わった後、写真家の立山くんが撮影してくれた写真とかも見返しながら結構ずっと反芻しているんですね。で、そこから発展して関連書籍を読み込んだりしているから、それこそイベントが終わった後も、自分の中では現場での経験がずっと続いている。

-関西から詩人の辺口芳典さんと芝田一絵さんが来てくれて、その辺口さんが、その場で遊んでいた男の子たちに話しかけて、その時に、渋谷川の上の空間がビルの隙間になっていて、そこから月が綺麗にちょうど見えていて、その男の子が「月が赤っぽく見える」って答えて、それを受けた辺口さんが「ちょっと赤っぽい月に向かって、いっちょポエトリー・リーディングしてみるか」って…。凄いシーンに立ち会ったなって感じがしました。それこそ「詩的な風景」。

ちょうど菊池さんが動画を撮影してくれていたから、Instagramでも発信されてましたよね。今は、ハイライトから見れるはずです。

-はい。ちょうど撮影できてました!この日、もうすぐ皆既月食の日だったんですよね。

ああ、そうか。色々とありがたいです。で、まあ、いろいろ考えながら、たとえば辺口さんの詩集を読んだりもしてて、彼の公式サイトをみたらステートメントにこう一言。「朗らかな空間の創造」って。

-あれ、ここまでの話と重なりますね。

ですよね、というのと、ホント「朗らかな空間の創造」ができたらなって、改めて素直に思いました。詩で言うと、今回、詩人の和山椒さんも音楽家の山田俊二さんとパフォーマンスしてくれていて、それこそ、一つずつ話し出すと終わらなくなっていくし、触れたいトピックが山のようにあるんですが…。なんか都市において、「本音」みたいなものって、とても浮くというか周りとのコントラストが生まれるんだなとも感じていました。

辺口芳典と芝田一絵による「朗読とエチュードのキメラ」

ポスターと一緒に、辺口芳典と芝田一絵による「コトバトル」で生まれた言葉たちも貼られています

この後、月に向かってポエトリー・リーディングがはじまりました

工藤夏海の人形劇「めでたし」

からだの奥から出てくる言葉と声

-本音が浮く?

えっと、あんまりまとまってなくって、ちょっと喩え話なんですけど、口から息を吐くときあるじゃないですか。熱い食べ物を冷ますときは、「ふぅ〜」って。

-はい。

冬の寒いときに手を温めるときは、「はぁ〜」ってなる。

-ああ。

自然と使い分けていますよね。「ふぅ〜」と「はぁ〜」で。やっぱり、「はぁ〜」の方が身体の奥から息が出てくるから、体温に近くて温かい。

-ああ、ああ。

で、なんか思ったんですけど、そういう体温を感じる言葉がそのままスピーカーから流れていく様子に、結構ドキドキもしたんですよ。なんでドキドキしたかというと、つまり都市、というか渋谷においてそういう機会があんまり無いからだなって。妙に、生々しく感じちゃうんです、そういう人の声に。それはきっと「はぁ〜」に近い。でも、多分、市場のような場所で熟練のお店のひとたちの呼び声がこだましている空間だと、そういうドキドキはあまり感じないであろう気もして。都市を聴覚的に考えたときに、音というか声の質によるサウンドスケープ(音の風景)って、場所や時代によって全然違うんだろうなということも考えてました。

-カフェや商業施設のBGMとはやっぱり違いますよね。

耳触りが良いから、良い。という簡単な話でも当然ないですからね。声のことは継続的に考え続けていて、文化人類学者の川田順三による「聲」という書籍を繰り返し読んでいて、例えば次のような文章をここ最近ずっと噛み締めている感覚があります。「声の生命は、発し終えられた瞬間に、何の痕跡ものこさずに消えてしまうところにある。声を発することが、イヴェントになりうるのは、そのためだ。ことばは本来声であり、文字はことばから声を、息を消し去ったから、空間に固定されて持続性を獲得したのだ」って。

-ことばは、声!息!それがイベント!

言われてみれば、ほんとそうで、ことばは本来、声だったんだろうなって。それをときに、歌とも言うし、詩とも言うし、物語とも言う。

佐野千明

北里彰久

広場のすぐ上から見た渋谷の街

willow kitchenさん

City is our Dancefloor booksのテーブル

Kinetic Artsと渋谷どこでも運動場プロジェクトによる渋谷川沿いに出現した遊び場

ストーリーが生まれる場所としてのストリート

さらに考えていたのが…。

-あはははは、まだ続くんですか!

というのも、「渋谷の駅前で、ああいう実験的なことができていて凄い」みたいなコメントをたくさん頂くじゃないですか。

-アンケートでもたくさん頂いていますね。

とにかく、声を届けていただくのって励みになるし、とても嬉しい。と、同時に、「渋谷の駅前にも関わらず」というところだけに価値を置いたり、そういうストーリーにより掛かるのも避けたいなとも思うんですよ。

-というと?

言い換えると「やれなそうなところで、やりづらそうだけど、やる価値があることをやっている」ということになるかと思うんですけど、この最後の「やる価値があることをやっている」ということにフォーカスしたい気持ちが回数を重ねるごとに募っているんですよね。「駅前でできていて凄い」というストーリだけでは大義にはならないじゃないですか。

-んー、じゃあ、どんなストーリーだったら良いんですかね?

しつこいんですけど、「渋谷川をもっと自然豊かにしていきたい、人にも動植物にも居心地を良くしていきたい」という願いにまつわるストーリーにはこだわりたいんですね、実践に基づくストーリー。

-それはそうですよね。

でも強いて言えば、「いろんなストーリーが生まれるということ自体が持つストーリー」にしていかないといけないんですよね、きっと。都市の広場や街路って本来そういう場所であるべきところだし。

-ストーリーが生まれる場所としてのストリート!

ストリートのストーリー!なんかダジャレっぽいけど、大切なことのような気がしてきました。で、まあ、そういうことって、予感に導かれて人が集まって、さらなる予感が生まれてを繰り返していく、多元的で生きた時間が積み重なった先に生まれるものですよね。

川は、風の通り道

渋谷の川のヌシを巡るドキュメント

渋谷川をぐるっと一周、ゴミ拾い。誕生日会の前に、習い事の前に、ゴミ拾いに参加してくれた子たち

みんな、また来てね

執筆

熊井晃史

写真

立山大貴

校正

吉田七海統

キャプション

菊池香帆

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