shibuya slow stream vol.24 「はな歌交じり」ふりかえり考察トーク
イベントを実施して、おしまい。それは、「ビルを作っておしまい」の街づくりとどこか似てきます。shibuya slow streamは、そうであってはなりません。企画や準備に心を費やして迎えつつ、その成果をどうやって積み重ねていけるか!?というところが大事なはず。というわけで、心に留めておいたり、次に活かしていくための手応えや感触って何だったの!?それを一同でふりかえって考察していく時間も大切にしています。ここでは、その一部を当日の様子とともにご紹介します。
今回のテーマ:「はな歌交じり」
良い都市とは、どのようなものか。やろうと思ってやるものでもないけども、思わず、ついつい湧いてくる、はな歌。それが呼び水のようになって、調子がついてくる。その延長上にある景色。良い都市とは、はな歌交じりのものでもあるように思います。
街からはな歌が失われるということは、何が失われているということなのか
-「良い都市とは、はな歌交じりのもの」って、今回のコンセプトテキストにありましたけど、じゃあ、はな歌が失われるとしたら、一体、何が失われているということになるんですかね?
えー、いきなり。でも、えっと、今回のふりかえり考察レポートではその辺りを深めていきたいかもです。ちなみにどんな時に、はな歌が出てきます?
-んー、なんとなく!楽しい時とか、楽しくしたい時とか!?
ですよねえ。「やろうと思ってやるものでもないけども、思わず、ついつい湧いてくる、はな歌。それが呼び水のようになって、調子がついてくる」ってコンセプトテキストに書いたのは、まさにそんな感じで、続いて「その延長上にある景色」としたのは、その積み重ねで、良い都市ってできあがるもんじゃないかなっていう。
-だから、はな歌が「まざっている」ということで、「はな歌交じり」。
そうそう。都市に誰かのはな歌がまざっていると思うと、なんか面白い。それに、誰かのはな歌に呼び出されるように、こちらもまた、はな歌が出てくるみたいなまざり方もあるだろうし。それで言うと、一日目のオープニングのemptyspaceさんのDJに、とてもはな歌的なものを感じて、幸先良いな有難いなって思っていました。気分とか感情って、案外、感染するんですよね。
-感染するなら、はな歌がいい!
slow streamの会場には座れる場所がたくさんあります。その一つの大階段には、グラフィックを担当しているsomedarappaのアニメーションも映し出されます
わなげボーボーの景品の集合写真
はじまるまえの集合写真を撮る少し前の写真
emptyspace
都市が美的でなくなる理由
ここ数年、哲学者のジョン・デューイによる「経験としての芸術」という書籍が心の支えになっているところがありまして、今回もそこから言葉を持ち出してここに置いておきたいんですね。
-「はな歌交じり」というテーマにも関係してくるということですか?
そうそう。そのコンセプトを裏打ちしているものでもあったりするので紹介しておきたいという気持ちもありまして。例えば、これ。「作品が美的でなくなるのは、次の場合である。すなわち制作活動は、ほんらい人が全身全霊をもって生き、そして生きることを喜び楽しむ経験であるべきであるのに、それを妨げる条件が揃っている場合である」というものです。
-ぎゃあ!より良く生きるということが創作とつながっているはずなんだから、その「生きる」ということが萎んでいたら、当然創作も萎んでいくってことですか!言われてみると、そのとおりでしかない!
ですよねえ。このフレーズの「作品」を「都市」に置き換えても、そのまま意味が通るように思います。
-都市が「美的でなくなる」ことの理由!
はな歌交じりの都市は、「美的」で、「人が全身全霊をもって生き、そして生きることを喜び楽しむ経験」がある。そう読みたくなってくるんですよね。
タイムテーブルを印刷し忘れて、当日手書きで書いているsomedarappa
渋谷の川のヌシを巡るドキュメントを無料で配布しています。渋谷にヌシ、いてほしい
玉田伸太郎による、ピクニックシートづくり
渋谷川沿いではSpiral Clubによるビオトープ観察会
考えながらつくって、つくりながら考える
-はな歌って、からだが喜び楽しもうとしているときに出てくるものな気がします。あたまで考えてやるものでもないような。
「全身全霊をもって生き」って、きっとそういうことでしょうね。あたまで考えて計画しようとしても届かない領域ってあるよねっていうこともデューイは言ってて。例えば「中世の聖堂は美しい」と言うんですが、その理由について「これはたぶん、それを建てるにあたって、こんにちほど前もって作られた設計図や仕様書に強くしばられなかったことによるのであろう。当時においては、設計図は建築が進むにつれて変化し、成長したのである」って指摘しています。
-設計図と建築が一緒に成長する!
最初の計画通りに出来たかどうか?というのと、結果的により良く出来たか?という問いって、似ているようで違うんですよね。
-音楽でいうとセッションっていうことですか。それとか、同じ曲を演奏するにしても、その都度、違ってくるっていう感じですか?
ああ、そんな感じがします。音楽家もそうですし、食でも、きっとなんでも、その場所やそこに居る人とか生き物とか天気とか風とか、とにかくいろんなものに影響を受けたり反応をしているんですよね。ある意味「計画したとおりにやる」ということは、「計画した後のことに影響を受けないようにする」ということでもあるんですよね。
-ああ。
City is our Dancefloor books、Books and Placesによる「都市文化再考図書」 の本棚。コメントも読み応えがあります
広場で本を読む姿って、なんかいいな。会場の全体装飾やラグなどのスペース装飾は、わなげボーボーチームが手掛けてくれました
HEADQUARTERSのハンドメイドバッグなど
じっくり遊んでくれると、嬉しくなります
やわらかいところにあるもの
気分とかリズムというものが人のなかにあって、それが声として仮の形になって出てくる。あくまでも仮だから、必ずしも完成させる必要がないし、正確である必要もない。
-はな歌のことですか?
そうそう。
-カラオケだと、歌詞を間違えないようにとか音程を外さないようにとか、いろいろ考えそうですけど、はな歌はそうじゃない。
そうそう。それで、誰に聴かせるわけでもないとも言えるし、自分自身が聞いているとも言えるし、誰かの顔が浮かんでいることもあるし、ふと見知らぬ人に届くこともある。強く意識された表現というよりも、ほとんど呼吸とか鼓動に近いものですよね。
-からだの反応。
表現として強く意図されているものではないということは、無意識の領域の話にもなってきますよね。
-はな歌が豊かっていうことは、無意識が豊かってこと。
ああ、そうかもしれません。
豆豆豆花
豆豆豆花の薬膳スープ
Sunfarm M+の酵素ドリンク
Sunfarm M+の薬膳カレー、kukuruのドリンクなど、広場にはいろんなキッチンカーが集まります。sibuya slow streamは飲食も充実しています
はな歌を歌わなくなるのはなぜか
-子どもたちと遊んでいると、みんなそれこそはな歌を良く歌うんですね。でも大人になると、はな歌ってあまり出なくなる気がしませんか?
ですねえ。
-無意識の世界に目が向かなくなるってことですかね?
ああ、そうかもしれませんね。ですし、それは、子どものときにはミミズを手でじかに触れたし、なんなら触りたいくらいだったんだけど、大人になると触りたくなくなるのはなぜか?という疑問と同じくらい自分にとっては考えたい話です。今でも、ミミズ触れます?
-触れますよー。
それ、大人では結構珍しいと思うんですよ。
-ヌメヌメしているのが嫌になるのかな。
それもありそう。
-やわらかいから、潰しちゃうのが怖いのかな。
それもありそう。ですし、躊躇無くミミズに触れていた子ども時代って、自分もミミズみたいにやわらかいし、ヌメヌメしていた気がします。つまり、自分もミミズだった、みたいな。
-あははははは!なんか納得感があります。
そうなってくると、はな歌が良く出てくる子ども時代って、つまり、自分自身もはな歌的な存在だったんじゃないかなと。
-ああ。
広場ではいろんな遊びが交差します
青空の下で大きな絵を描くの楽しかったな
通りすがりの人と遊ぶって、公園みたい
学校帰りに立ち寄れる場所でもありたいな
はな歌的存在
-はな歌的存在。
全身全霊をもって生き、そして生きることを喜び楽しもうとしていて、あいまいであやふやなんだけど、からだの反応には正直。ここまでの話をまとめるとこうなりますね。
-そういう存在になりたいのかもしれません。
ええ、きっと、みんな本来そうなんじゃないかなと思うんですよね。もう少しだけ言葉を加えていくと、未定義な存在が生きていくための方法という話もありまして。
-どういうことです?
以前、ごっこ遊びに関する研究論文を読んだりしながら考えていたんですが、自分が何者か?というところが未定義状態じゃないですか、子どもたちって。
-ああ、いろんなキャラクターになりきったり、人形を動かしたりしながら遊ぶ、ごっこ遊び。
未定義だから、動物にも乗り物にもヒーローにもなれる。そういう遊びを通して、自分自身が生きるこの社会や世界を推し測ろうとしていたり、自分自身のことも推し測ろうとしている。ああかな?こうかな?って、味わいながら試している。
-ああ、はな歌もそれに近いということです?
未定義な気分や状態を、いったん声という形に出してみて、自分自身でも吟味しながらしっくりくるところを探っていく感じってありますよね。はな歌って。
-そうかもしれません。
大人になると、いろんな立場やラベルを手にして定義づけられていきますからね。社会や世界をわざわざ推し測る必要がなくなっていきますよね。
-だから、はな歌を歌わなくなると。
わからないですけど、多分、きっとそう。でも、未定義な気分や状態って無くならないはずだし、それこそが可能性という感じもあるんで、その扱い方はしっかり社会的に考えたほうが良いんじゃないかなとは思います。
ぺのてあ
わなげボーボー
洋間スタジオ
Hi,how are you?
声のアジール
例のごとく、今回も、考察レポートとして当日の様子にほとんど触れていないんですが、いつものように写真や動画を繰り返し見たり記憶を反芻しながらなので、当日のことをものすごい踏まえてはいるんですね。
-はい。
で、2日目が雨で中止になって残念だったなとか思い出して、いちいちくよくよもしていたりもしています。で、まだ言っておきたいことがたくさんあるんですが、既にすごい分量になってきました…。なんですけど、前回も引用した文化人類学者の川田順三による「聲」という書籍で述べられている「声のアジール」というものを、ここでも話しておきたくって。
-声のアジール。アジールって、避難所とか聖域みたいな意味でしたっけ?
ですです。
-旧漢字の「聲(こえ)」って、漢字の中に耳も入ってて面白いですね。
確かに、出されたものの受け取りも含めて、声としているのかな。
-声は、受け取られて声になる!
おお。それで言うと、川田は声になりづらいものの声の発生とその受容みたいなところにも着目しています。
-聲!
彼は、西アフリカのモシ族の社会における「あてこすり歌」について調査しているんですけど…。
-あてこすり!?
悪口というか文句というか非難というか…。男性優位なモシ族の社会において、女性側がやってられない!となったときに、その気持を歌にして吐き出した場合、男性側はそれを聞き入れるというか仕返しをしてはならないという掟があるそうなんですね。それについて、川田はこのように描写しています。「リズムが決まっているということは、作業や踊りという身体運動に、声が触発されるという面にかかわっているし、音程やリズムの定型性は、即興のことばを放りこみやすい声の器の大切な条件だ。日常的な声では語れない真情、愚痴も、形式の定まった“うた”という装いを与えることで表出が容易になる。それに、このようなうたで発散された不満や非難は、それを聞いた者が日常の場では咎めてはならないという掟がある」って。
-へえ。「声の器」かあ。
気になる描写ですよね、いろいろ。で、どこかで聞かれることが期待されているけど、聞いた方は仕返しをしてはならない。そのことを表して「『うたう』ことによってつくりだす『声のアジール』」と言っているんです。これは、女性にとってのアジールという捉え方もできるし、その人の本音的なものにとってのアジールという捉え方もできますよね。
-歌というものが、人と本音のようなもののシェルターのような避難先になるという。
川田は、それを『「うた」というものが帯びている聖性』とも言っているんですが、この時代において、そういう聖なる領域というものをどう考えていくか、という話にもなってくるなって感じていました。
-ふぇー。あーでも、歌が空間になるって感じはありますよねえ、shibuya slow stream。
それ、ほんと感じています。し、そうありたいと願ってもいます。
GAKUとfiore soffittaによる、渋谷川のほとりで行われた1日限定のフラワーショップ
フラワーショップの隣にはピクニックコーナーもあったりと、にぎやか楽しい
過去が現在を助け、未来が現在を励ます
ほんと一つ一つあげていくと止まらなくなっちゃうんですが、ShiShi Yamazakiさんが踊るというか、歌うというか、してくれたじゃないですか。
-踊るというか、歌うというか…。はい。なんか全部って感じでしたよね。
ええ、そのなかで、ご自身のおばあさんがコーラスをやられていて、その録音データを呼び起こして、たしか曲名は「落葉松(からまつ)」だったと思うんですが、それと共に歌うという時間があったじゃないですか。
-ありました。
なーんかそのことも妙にずっと反芻してまして…。音楽というものが、何にたむけられていくのか?ということを常々考えちゃうんですけど、同じように、このslow streamをディレクションしている自分の仕事というものが、一体何に捧げられているものなのか?も日々日々考えちゃうんですね、で、今回繰り返し引用している、例のデューイが「芸術は、過去が現在を助け、未来が現在を励ますこの瞬間を、とくにつよく祝福する」って言っているんですよ。
-過去が現在を助け、未来が現在を励ます。
なんか、わかんないんですけど、とりあえず、そういう祝福をスゲーしたい。そう思いました。
-わからないですけど、そんな感じはします。
ShiShi Yamazaki
ShiShiさんがつくっの本を囲んで、盛り上がりました
切ったら出てきそうな歌
長くなっちゃってるんですが、最後にもうひとつ。
-いくらでもいけちゃいますね。
止まらなくなっちゃうんですよね…。で、で、はな歌の良し悪しって、上手い上手くないとか、そういう話じゃないと思うんですよ。
-ここまで、そういう話でしたね。
で、じゃあ、なんなんだ?っていうのは良くわからないんですけど、ただ、切実かどうかみたいな話ってあるなって思っていて。
-切実。
その人にとっての必然性というニュアンスなんですけど、文字通り、その身を切ったら出てきそうなというか…。
-その人っぽいなあと、しみじみ感じられるということですか?
多分、そう。slow streamでは、そういうことは良く感じていて、それこそ、そういうもののアジールに、たとえ一時的なものだとしても、slow streamがなるべきなんだよなとも思うんですよね。都市文化というものは、本来そういう意味があったように思いますし。で、で、そういうことを、最後のGOFISHさんを聞きながらも、強く感じて…。
-なんというか、声の質感がスゴかったですよね。
ねえ。手元に2012年発表のサード・アルバム「とてもいいこと」がずっとあって、実は繰り返し聞いているんですね。で、そのアルバムタイトルになっている楽曲「とてもいいこと」の歌詞を最後に転載しておきたいと思います。なんでそうしたいか、よくわからないんですけど、そうしておきたくなっていて…。
– – – –
あたらなかった 予感は
帰る ところがなくて
漂い続けているから
うたにして あげなくちゃ
なんだか よく わからないけど
とても いいことを したような
気がしている
「とてもいいこと」より一部引用
作詞・作曲:テライショウタ
– – – –
GOFISH
みんなでつくったピクニックシート。いろんな人が来てくれたなぁと思い出す
スタートにあわせてお客さんも一緒に集合写真
- 執筆
熊井晃史
- 写真
立山大貴
- 校正
丹野暁江、吉田七海統
- キャプション
菊池香帆