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shibuya slow stream vol.20「こんぽんてき」ふりかえり考察トーク

イベントを実施して、おしまい。それは、「ビルを作っておしまい」の街づくりとどこか似てきます。shibuya slow streamは、そうであってはなりません。企画や準備に心を費やして迎えつつ、その成果をどうやって積み重ねていけるか!?というところが大事なはず。というわけで、心に留めておいたり、次に活かしていくための手応えや感触って何だったの!?それを一同でふりかえって考察していく時間も大切にしています。ここでは、その一部を当日の様子とともにご紹介します。

今回のテーマ:「こんぽんてき」

徹底や極端という意味も持つRadicalという言葉の語源は、「根(ラテン語のradix)」であるそうです。なんだか意外なような気もしますが、ちょっと考えてみると、納得感も湧いてきます。良い都市とは、どのようなものか。その根っこのところから物事のそもそもを問う姿勢に宿る、溢れ出る過剰さ。今の都市には、それくらいの「根本的さ」が必要な気がします。根のところまでたどれば、わたしたちはわかり合えたり、はたまた、お互いのわからなさをも分かち合える。そういう願いも湧いてきます。

より良いお祭りと都市は、想像力によって出来上がる

お祭りごとって、一人じゃなくて、みんなでやるものですよね。

-はあ。

さらには、想像力によって出来上がるものだし、みんなの呼吸だったりタイミングというものが合うと、不思議と、いつも以上の予期せぬことが起こりますよね。

-今回もそういう瞬間が多々ありましたね。

ありましたよね、本当に有り難い限りですし、いろんな人と一緒にその場に居合すことができているということも大切なことだなって感じてます。で、そういう「いつも以上のこと」のことに対面した時の反応って、あまりパターンがないような気がしてて。

-反応のパターン?

気が付かないか、無かったことにしちゃうか、おかわりしたくなるか、伝説として語り継いじゃうか。

-わたしなんかは、スゴかったねーって、たまに思い出すくらいですけど。

思い出して反芻している人が増えていけば、伝説に近づいていく気もします。

-そうかもしれません。

で、まあ、「ヌシ」を研究している、伝承文学が専門の伊藤龍平先生は、ヌシのことを「集団的詩的想像力の発揮」という言葉で説明をしているんですけど、まさにだなって。つまり「それぞれの詩的想像力が発揮される舞台に都市はなれるのか?」っていう問いがそこにはあるわけなんですよね。(民俗学者の伊藤龍平先生によるトークイベント「渋谷にヌシは可能か?」の記録冊子のデータはオンラインで公開されています)

-その問いに応えたいという気持ちがslow streamにありますしね。

ですねえ。

渋谷川の降り立つ

暗渠散歩

唄う、うたのわ

「みんな」って誰?

「お祭りごとって、みんなでやるもの」って言いましたけど、でも、そもそも、その「みんな」ということを考えるのも、結構重要で。

-どういう意味です?

例えば、車椅子やベビーカーを利用していると、slow streamの会場へアクセスがしづらいんですよね。今、「公園を、障害のあるなしにも関わらず誰もが自由に遊べる場所にもっとしていきたい」というプロジェクトを地元でやっていて、障害がある方が、いかに街に出づらいかということを目の当たりにしている次第なんですね。

-「みんな」って言うけど、その輪の中に入りづらい人がいる、ということですよね。

そう。「みんなのために」「誰にでも」「全ての人にひらかれた」とか、口当たりが良いから使いがちだし、使われがちですけど、ちゃんと立ち止まって考えると、やっぱり「言うだけでおしまい」にしちゃいけないなと強く感じます。だから今回、階段を使わずに会場まで来ることができるルートをslow streamのInstagramを回してくれている菊池さんが、渋谷ストリームのインフォメーション担当の方や駅員さんにも確認してくれて、slow streamのwebサイトにもそういった情報を掲載したりもしていたんですよね。自分でも試しに、そのルートを確認しながら現地を歩いてみたんだけど、これがかなり複雑で、階段を使わずにエレベーターを使うためには、いろんな道を迂回したりしないと、辿りつかない。

-やっぱり、そうですよね。

うん。知り合いの車椅子ユーザーの介助者の方と事前にslow streamの話をしていたら、「下見をしておかないと、かなりツラい」っておっしゃっていました。その言葉がずっと残っていて、「地図と順路」ということを考えちゃうんですね。

池間由布子

DEMISE BOVELL by hiraparr

野口竜平「蛸みこし」と

生きられた経験を描き、支える方法

-地図と順路?

例えば、Googleマップには、車椅子用の方の順路が示されることがないということなんですけども、もっと踏み込んでいくと、歴史家のミシェル・ド・セルトーが「日常的実践のポイエティーク」という書籍で、注目すべきことを言っているんですよ。

-はあ。

「C・リンダとW・レーボヴは、ニューヨークの居住者たちが自分の住んでいる住宅についてどのような語り方をするか、その叙述を綿密に分析しているが、そこからかれらは二つのタイプをとりだして、ひとつを「地図」(map)とよび、もうひとつを「順路(パルクール)」(tour)とよんでいる」ということに、セルトーは着目を与えているんですね。「地図」という抽象化された世界認識と、「順路」という身体を伴う生きられた具体的な世界の認識。彼のそういった論を念頭に入れつつ、前者の「地図」というものを先鋭化していくと、アフリカの大地に直線的に、そして暴力的に引かれた国境線のことがどうしても思い出されちゃうんです。

-そこまでいっちゃいますか。

そこで生き暮らした人だったら、山とかあるのにそれを無視してあんな国境線をアフリカの大地に引かないでしょって。明らかに、あれは地図を机の上に広げて定規で引いた線ですよね。「アフリカの国境線がまっすぐな理由」とかで検索すると色々と出てきますから、興味がある方は是非調べてもらえればと思います。それでまあ、セルトーは歴史家というのもあって、かつての地図というものが現代とはまた違った機能や表現を宿していたことを明らかにしてくれているんですね。また引用しちゃうと次のようなものもあります。

「中世の初めての地図には、もっぱら順路をしめす直線が引かれているだけで(そもそもその道は、なにより巡礼のための指示だったのだ)、どのようなステップをふむべきか(この街は通過するとか、立ち寄るとか、宿泊するとか、祈りを捧げたりするとかいった)注意書きがそえられ、距離は時間か日数、すなわち歩いてかかる時間が記されているだけであった。どの地図も、とるべき行動を記したメモランダムなのである。そこではこれからたどるべき順路がなにより大切であった。(ミシェル・ド・セルトー、山田登世子訳「日常的実践のポイエティーク」)」

-へー。

うたのわ

都市におけるアクセシビリティ

-なんか大学の授業みたいになってきましたね。

スミマセン、とはいえ「都市におけるアクセシビリティ(アクセスのしやすさ)」というのを、しっかりじっくり考えて、現実に働きかけていくことが必要ですし、そのことが、ある意味で言うと、その場所の価値を向上させるって信じているんですけども。

-それは、ホントそうですね。

今、「障害の社会モデル」という考え方が普及しつつあるんですね。

-障害の社会モデル。

障害を「個人の特性としではなく、社会によってつくられたものとして考える」というものなんですね。例えば「障害があって、slow streamの会場に来れない」ということがあるとすると、その人に障害があるとするよりも、来れなくしている社会側に解消すべき障壁があると考える、というものなんです。

-なるほどです。

なんか少しずつでも、やれることをやっていきたいとは思っていて、「わたしたちは、ベビーカーや車椅子でのご来場を大歓迎しています。会場は、渋谷駅直結の渋谷ストリームの広場です。館内には、多目的トイレや喫煙室もあります。大きな声が出たり、泣いたりしても大丈夫。必要なときには助け合いながら、みんなで良い時間をつくれたら最高です」なんていうフレーズも入れて、情報発信していたんですよね。

-そのあたりは、毎回少しずつブラッシュアップしてますよね。

ちょっと補足すると、赤ちゃんが泣いちゃうことを気にしてLiveとかに行けないという声もありますし、障害を持つ方の中には、大きな声がでたり、飛び跳ねたりというスタイルの方もいらっしゃるんですよね。そうすることで心を落ち着かせているという側面があるものの、ご家族や介助者の方が、周囲の目を気にしてなかなか外に出れないという話も聞いていたんで、ひとまず「そういうこともオッケーですよ」と言いたい。

-スタンス表明することが、アクセシビリティの担保につながる、と。

そう、試行錯誤しかないですけど、状況が少しでも良くなったらなと思います。実際、slow streamの現場には、車椅子ユーザーの方も来てくれていて、かなり嬉しいという気持ちと、まあ、当たり前にあるべき姿だよなみたいな気持ちが、同時に訪れました。

尾引浩志

Mount XLR(from Seoul,Korea)

ャーハン

自分たちでどうにかすることで立ち上がる公共性

ただまあ、簡単に済ませてはいけない話はたくさんあって。

-簡単に済ませてはいけない話。

渋谷ストリームの広場には普段から集まっている若者が、たくさんいますよね。公園のようにお金を払わずに集える場所っていうのが都市において貴重ではあると思うので、その希少性をどうやって育んでいけるのかっていうのは、結構重要ですよね。で、微笑ましくもありつつ、渋谷ストリーム側もある意味寛容であり続けているのがスゴいなとは思っているんです。ゴミを置きっぱなしにされていたりもしていて、それはツラいものがあるんですが。

-それはそうですね。

で、slow streamでいえば、Live中にお客さんが音楽に耳を傾けている中で、そのLiveを観に来たわけではない方々が集って楽しんでいる声がかなりのボリュームな時があって、結構逡巡しました。

-そういうシーンもありましたね。

そういう都市の音環境をも味方につける音楽があるという考え方もあるにはあるし、むしろ好みなんですけど、とはいえ、なんかなあって。「あと30分で一旦終わるから、もうちょっとだけ声のボリューム絞ってくれるとチョー嬉しいな」って言いに行こうかなって思ったんですけど、キュレーターの宮﨑くんに、「主催者側の権力性みたいなものを、広場という公共性の高い場所で発揮するのはそれはそれでシラケる」みたいなことを言われて、たしなめられまして。

-真面目な議論があったんですね。

そうそう。ただ、まあ、その場で恩恵を得ているみんなで、その場をみんなでより良くしていけたらなとは思うんですよ。これは、いろんなところでも発言しているし、書いてもいますが、slow streamの会場となった広場も、公共的な場と言いつつ、東急株式会社という民間企業の管轄なわけです。で、ですよ、にも関わらず24時間あいているし入れる、トイレも使える。一方で、具体的に名前を出しちゃうと宮下公園は、公園と言いつつ、夜にはゲートが閉められて入ることはできないんですよね。なんかこれって、結構あべこべなことが起こっているっていう感じがしませんか。その上で、東急さんは、広場性というものを担保するために、結構踏ん張ってくれているなって感じています。

-言われてみれば、そういう気がしてきます。

ずっとあけておくって、本来、かなり負担がかかることなんですよね。

川口貴大

neoコーキョー

フィールドワーク的清掃活動「渋谷川のほとりのゴミ拾い」

渋谷川のヌシにささげるエナジードリンクYUMEGIWA&大山龍

コンセプトを運用するということ

ところで、渋谷ストリームのコンセプトは、「人も川も時間も流れる『クリエイティブワーカーの聖地』」というものなんですけど、ついついコンセプトを「約束」や「願い」として、受け止めちゃうんですね。

-約束や願い。

こういう感じにします!なったら嬉しいな!っていう約束や願い。

-マニフェストみたいなところがありますからね。

ですよね。だから、今、ここは「クリエイティブワーカーの聖地」になっているんだろうか?そもそも、誰がどのように、このコンセプトを実現しようとしているんだろうか?って、頼まれているわけでもないのに、気にしちゃうんですよね。

-そもそもクリエイティブワーカーってどういう感じなんですかね?

ねえ。クリエイティブエコノミーとか、クリエイティブクラスターとか、クリエイティブという言葉が冠につく言葉が世の中にはたくさん出てきましたけど、それをより良く解釈して、理解を深めていくことが必要なんじゃないかと日々、強く思っているんです。

-そんなことばっかりしてますよね。

いやだって、このふりかえりトークも、「イベントを実施して、おしまい」にはしたくないからやっているわけですけど、その裏に「『ビルを作っておしまい』の街づくりじゃないものへ」という願いがあるわけですよね。施設も、つくった後の運営が同じように大事であるように、コンセプトというものも同じように、掲げた後の言葉の運用がとても大事だと思うんですけど、なんか世の中がそうなってない気がして。

-まあねえ。

「つくることと、育むことの分断」が起きているなって思っちゃうんですよね。どちらかというと、つくりっぱなしが多い。教育の仕事をずっとして来ているので、いちいちそういうことを考えちゃうのかもしれません。

守安 功&雅子

seaketa

ごはんの木

Spiral Club

クリエイティブには傷という意味がある

創造の創が「きず」だということは意外に知られていないようです。(絆創膏という薬もあることです。)創造の創は、もちろん「物事の始まり、始め」という意味ですが、物事の始まりが「きず」だということは大変意味深いという気がします。(吉野弘「詩のすすめ −詩と言葉の通路−」より)

詩人の吉野弘さんの、この言葉には随分と救われていまして、いろんなところで参照をしているんですが、このことを頭に浮かべながら「クリエイティブワーカー」とはどのような存在か?ということを考えると、また違った地平がひらかれるような気もするんですよね。あと、ワーカーと言っても、えっと、前回のレポートでも触れましたが、編集者の若林恵さんが寄せてくれた「仕事というものが、自分の『人生の時間』と切れちゃっているんですよね。そんな所で経済なんか発展するわけないですよね」という言葉も参照し続けるべきとも思います。

-クリエイティブワーカーという横文字が、ちょっとまた違った感じで響いてきますね。

創造と仕事という言葉を、そういうふうに噛み締めると、別の味わいがしてきますよね。そのあたりは、渋谷キャストという複合施設の七周年記念で制作した冊子「頼まれなくたってやっちゃうことを祝う」の末尾に言葉を寄せていたので、それをここでも紹介しますね。

創造の創は「きず」である。考えてもみなかったことですが、自分の足場と見通しがひらかれたような感覚になりました。創造性なるもの、クリエイティビティなるものが大切というならば、その「きず」性というものに目を向けないと、あまりにもご都合主義になってしまうのではないか。「きず」が付かないような高みで創造性というものを語ってはいけないのではないか。関係者一同の寝床の写真が掲載されているのは、そのような態度の現れであり、それを掲げ続けるためのモニュメントのような記録としてでもあります。寝床に身を預けるほかない状況は最も無防備なもの。にも関わらず、それを晒す。頼まれなくたってやっちゃうこと。それは「きず」ついたり、つけたりする私たちの人生そのものが思わず顔を覗かせる瞬間なんだと思います。そして、誰もが眠りにつくように、誰であれ分け隔てなくそのような瞬間が訪れているはずですし、まだ見ぬ訪れも待たれているはずです。(渋谷キャスト七周年記念冊子「頼まれなくたってやっちゃうことを祝う」あとがきより)

-え、これって誰もがクリエイティブワーカーになれるってことですか?

すごいストレートにズバッと言うとそうなります。常に既に、誰もがクリエイティブワーカーであるし、問題はそれを発露する機会があるかだよねっていう。

HWI(from Seoul,Korea)

Mount XLR(from Seoul,Korea)

世界のクラフトビール Drinkuppers

それぞれの人生の時間が持ち寄られる場所

-じゃあ、聖地ってどう捉えたら良いんですかね。

ねえ。「ものごとの始まりが『きず』」と言う吉野さんの言葉を改めて押さえつつですが、聖地って何かが始まるってことや、始まっていたということを思わせてくれる場所のことですよね。

-渋谷川だけにね、やっぱり何かの源流であって欲しいということになって来ますね。

うまいこと言いますね。実際、渋谷ストリームの命名由来としても「ここでの体験・交流・挑戦から生まれる新しいモノ・コトを世界に発信し『クリエイティブワーカーの聖地』として新たな次代の流れを生み出し続けたい」ってされているんですよ。

-新たな時代の流れを生み出したい。

それで、最初の話に戻っちゃうんですけど、不思議と高頻度で「いつも以上のことが起こる」ような場所になったら良いと思うんですよね。

-アニメでもアイドルでも聖地巡礼みたいなことがありますけど。どうやったらそうなれますかね?

えー。例えば、「今、めちゃくちゃ有名な人が駆け出しの頃にあそこでお店構えてましたとか、Liveやってました、それでもって、ただやるだけでなくて、そこに人間ドラマもありました」みたいなことがあったり、クリエイターやそのクリエイティブワーカーが「この場所に、めちゃくちゃインスピレーションを受けて何かやりました」みたいな内発的なことがないと、そうはならないですよね。とりあえず少なくても時間の蓄積というものは欠かせないと思うし、なんというか、しっかりちゃんと覚悟だったり美学を持ってやっていかないと無理ですよね、きっと。それこそ、奇跡みたいなことって、それぞれが生きてきたことの時間の連続性の先にしかないとは思っているんで。

-よく言う、特別なことはいつものことの延長にあるってことですかね。

そうそう、連続性が顔覗かせる瞬間という感じ。それに、聖地とか伝説って、後から発見されるものであって、その只中にいる時には、やっぱり釈然としないことの方が多い気もします。

Sofar

YUMEGIWA

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理念の携え方

ここまで話をしてきた「コンセプトを運用する」ということについても重なると思うですが、政治学者の宇野重規さんは次のようなことを書かれています。理念というものの捉え方が素敵なんです。

問題は、人間が行動するにあたって選びとった理念が正しいことを、神学的・形而上学的に論証することではない。すべての人間には、自分の選びとった理念を追求する権利があり、重要なのはむしろ、そのような理念が結果として何をもたらすかである。プログマティストたちにとって、理念とは、人間が世界に適応し、世界を変えていくための実際的手段であった。人はある理念を選び、その理念をもつことによってはじめて世界と切り結び、世界を理解することができる。理念は人間と世界をつなぐ媒介なのである。(宇野重規「民主主義のつくり方」より)

-理念は、「世界に適応し、世界を変えていくための実際的手段」。

「人も川も時間も流れる『クリエイティブワーカーの聖地』」というコンセプトというか理念を、豊かに解釈しちゃって、「それを掲げたんだったら、体現していって、世界をより良く変えていこうよ」って素直に思っちゃう自分がいるんですよね。

-なははは。

自分としては、ものすごいど真ん中な論理を組み立ててslow streamをやっているつもりではあるんですけどね。

DEMISE BOVELL by hiraparr

ヘアアレンジとフェイスペイント eni

CHANCE TIME

良い兆しや流れを生み出すための、good stream meeting

-じゃあ、どうなったらslow streamは成功って言えると思いますか?

それこそ、「クリエイティブワーカーの聖地」になったら良いのでしょうし、はたまた、来場者やInstagramのフォロワーが増えたら良いのかもしれませんけど、それについては、いろんな応え方があるんですよね。ただ、軸として考えているのが、「we make good stream」というフレーズですよね。

-ああ、そうですよね。streamって、流れとか潮流という意味もあるんですもんね。

そうそう、表には出してこなかったですけど、「まちづくりって言うけど、一体何をつくっているんだ?」という問いに対する応答でもあったわけですよね、「we make good stream(良い兆しや流れをつくる)」というのは。なので、slow streamの会議は「good stream meeting」と数年に渡ってみんなで呼んできたわけです。話に出たついでに、内部用の資料ではありますが、その一部を抜粋して紹介しておきたくなりました。

-少しは表に出した方が良いと思いますよ。

そういう拍子がついてきた気がしてきました、確かに。

<good stream meating>
よい予感に、よい兆し。
そんな気持ちを持ち寄って、何かをやってみる。
試行錯誤がみんなの話題になっていく。
この街で、そんな習慣と文化を広げていくためのミーティング。

Spiral Clubのビオトープ観察会

語彙を育むことで、挑戦に寛容な状況を育む

再現性がない、意味がわからない、内輪になる、だからダメ。

-どうしたんですか、急に。

良い予感や、良い兆しに従って、新しい試みをした時に、よく投げかけられる言葉の例を並べてみました。なんか、誰かの何かの参考になるんじゃないかと思って。

-あははは。いつもどうしているんですか?

まず、再現性がないからダメだっていう声に対しては、再現性があるかどうかの前に、再現すべきかどうか?再現したいかどうか?を考えようって。

-ああ、その手前に確認すべき大切なことがあると。

そう。で、もし再現したいと思えたなら、その何を再現すべきなのかを考えよう、そして、それがどう叶えられるかを考えよう。そういうところを議論すべきですよね、と。

-なるほど。じゃあ、意味がわからないと言われたら?

次の時代を拓く価値の源泉は、「わかられたいけど、そう簡単にわかられても困る」というその狭間にあるものです。意味がわからないからダメというものもあれば、わからないからこそなぜかグッとくるという次元のものもあるんで、そのわからなさを味わっていきましょう。最初からわかるというものは既に世の中で消費され尽くされているものです、と。

-そういえば、社会的な意味は、後付け的にみんなでしていく環境を担保していった方が、いろんな挑戦ができるって言っていましたよね。

はい。社会的の中で「後付け力」というものを培うことがいかに必要か、ということだと思います。それってきっと、編集力ということでもあるし、メディアが担保していた社会的な機能であるはずなんですよね。

-今これに注目すべきっていうアテンションをつくっていくような仕事ではありますもんね。最後に、内輪になるって言われたら?

内輪という言葉が批判的に用いられる時に、どのような意味が託されているかというところが大事なんですよね。独善的だったり、届けるべき相手に届いていないとなると、あたり前に改善していくべきではありますよね。それにその輪というものが、固く揺るぎないもので新規参入を許さないようなものだとしたら、ちょっと息苦しくなります。その上でなんですが、プロジェクトとして、深めることも、広げていくことも、本来その両方とも大切ですよね。だから、今どっちに注力しているんでしたっけ?とか、このプロジェクトはどっちを大切にしているんでしたっけ?とか、そこの視座から確認しましょうよっていうのが大事だと思うんです。広げることに偏ると浅いものになりますし、深めてばかりだと敷居が高いものになりますしね。

-どんなことを前提というか基盤として話し合うかによって、その議論の質が全然変わっちゃうということですよね。

そうそう、もっと言うと、その基盤がないままの議論が蔓延していないだろうかっていうことで、そりゃ、批判的検証はもちろん重要なんだけども、議論が積み重なっていかないよなとは思います。土台がないことには、やっぱり積み上がらない、すぐ崩れる。

-基盤と土台。

まだまだ全くの道半ばですけど、slow streamを通して、議論や対話のための語彙を豊かにしていきながら、そういった基盤と土台をこの社会の中で培っていきたいって、結構真剣に考えています。川の話をしちゃえば、流域的に湧水などを守っていかないと枯れてしまうように、良い予感や良い兆しというものも、結構繊細なものであるとは思うんですよ。気をつけないと、いろんなものを枯らすことになってしまう。

野木青依とうたのわ

meizin

ライブスプレードローイング DEMISE BOVELL by hiraparr

「対話の作法」

ちなみに、「後付け力」が大事っていう話は、人材開発・組織開発を専門とされている中原淳先生がおっしゃっていることなんですね。中原先生の書籍は、アカデミックなものから、実践的なものまで幅広く、多くの方が手にとると良いのでは?と勝手ながら思っているんです。で、ここまでの話の流れで言うと、そのものズバリな中原先生による書籍がありまして、その名も「『対話と決断』で成果を生む 話し合いの作法」です。

-話し合いの作法。気になります。

私たちはその「話し合いの作法」を培っていくことが重要なんじゃないか。今それが失われてしまっていて、不幸な状況を生んでしまっているんではないか、という課題感が感じられる書籍なんですね。ぜひ、気になる方は、原著を手にしてもらいたいのですが、一部をご紹介すると「対話の8つの要素」ということで次のようなものが挙げられていました。

【①前提・マインドセット】
1.対話とは「ケリのついていないテーマ」のもとでの話し合いである
2.対話とは「人が向き合って言葉を交わす風景」である
3.対話には「フラットな関係」がよく似合う
【②行動】
4.対話では「自分」を持ち寄る
5.対話では「お互いのズレ」を探り合う
6.対話とは「今、ここ」を生きることである
【③成果】
7.対話では「自分を疑い、他者に気づく」
8.対話は「共通理解」をつくりあげる
(中原淳「『対話と決断』で成果を生む 話し合いの作法」より)

-おー、これまでの話ともつながっていきますね。マネージメントというものが管理ということではなくて、困りごとがあれば、みんなでどうにかしていくし、良い兆しがあれば、それをみんなで膨らましていく」ものだって言っていましたよね。

なんかほとんど、同じ話を言い方を変えて繰り返しているんだと思います。この書籍はビジネスシーンでの活用が想定されているので「納得感のある『決断』」を引き寄せるためという着地が想定されているんですが、確かに現実を動かしていくときには、対話だけでなく何かを決める必要はあるにはあるんですよね。ちなみに、同じ書籍で、「何でも話してくださいって投げれば対話が成立するわけじゃない」みたいなことが強調されてまして、予めの目線合わせの必要性が繰り返し述べられています。例えば次のようにまとめられています。

1.why do?(なぜ、このテーマで対話するのか?)
2.Why now?(なぜ、この忙しいときに、今、対話するのか?)
3.Why us?(なぜ、他ならぬ私たちが、対話をしなくてはならないのか?)
4.What’s merit?(対話の先に、どんなメリットが考えられるのか?)
(同著より)

-こういう見通しがあると、腹落ち感が出てきます。

「足場と見通し」があれば、もうひとふんばりができますよね。

mado

うたのわと野木青依

PORTABLE PARK

背中を見る、見せるという輪

内輪という言葉をどう捉えるか、なんですが。

-それ、まだ続くんですか。

というのも、人の集まりを何て呼ぶかってところに、結構スタンスが問われるところがあって。例えば、それをコレクティブって呼ぶとまた響きが変わってくるわけですし、会社だったり、プロジェクトチームだったり、バンドだったり、サークルだったり。いろんな言い方があるわけですよね、人の集まりには。で、最近、心理療法の世界における「ファースト・サークル」と呼ばれているものに関心があって、文献を読み進めているんですね。

-ファースト・サークル。

背景には、生きづらさを抱えた人たちが、対話が担保されている共同体の中で回復を目指す仕組みとされている「治療共同体」だったり「回復共同体」という実践的な研究があるんですけど。

-治療共同体、回復共同体。

で、ですね、その共同体は最初にコアなメンバーが集まって、素直に内なるものを吐露できる状況をつくることが目指されているんですけど、そのことをファースト・サークルと呼ぶそうなんです。まさに、内輪ではあるんですけど、心理的安全性の確保に優先が置かれている。で、その治療だったり回復のために、自分のことを開示し物語ることが有効とされているんですが、そう簡単に、そんなことできないじゃないですか。

-なんでも話していいよと投げたからって、対話が始まるわけではないというやつですね。

そうそう。それで、そのときに、そういった自己開示をまずはやってみて示す人のことを「デモンストレーター」と言うそうなんですよ。それが呼水になって、次第にそういう輪が広がっていくという(藤岡淳子編著「治療共同体実践ガイド」に詳しいです)。

-なんかわかる気がします。野球のスタジアムでも、一人の観客が感情を爆発させた応援をすることによって、それが観客中に広がっていくことってありますよね。

チアリーダーって、つまり、そういうことですよね。で、そうやって考えていくと、ダンスフロアで楽しく踊っている人たちも、その意味ではチアリーダーでもあるし、デモンストレーターでもあるし、もっと言えば、観客でもありながら二次創作的に場にコミットしているということになりますよね。

-お客さんも作り手である、と。阿久根聡子さんの「都市はわたしたちのダンスフロア」にもつながってきそうです(CINRA:「愛する「場所」を記録するのに資格はいらない。英ジャーナリスト、エマ・ウォーレンと翻訳者が語る」を参照)。

まさに。だからまあ、内輪っていうことと、現代における生きづらさという問題や都市文化ということをつなげて考え始めると、色々と思っちゃうんですよね。

-いちいち、そもそもの話にいっちゃうんですね。内輪っぽいっていう批判って、シンプルに他者に説明する意欲があるのか?ということではあると思うんですけどね。

ぐむ、そうですよね。それは、通りすがりの人への挨拶がどれだけ活発に行われているか、ということが指標だよなって思ってます。

-いきなり、校長先生みたいですね。

挨拶は、ボーダーを越える営みな気がしますから。

みんなで担ぐグニャグニャ「蛸みこし」 野口竜平

実践共同体

人の集まりを何て呼ぶかってことで言うと。

-えー、まだ続くんですか。

いやー、「実践共同体」という概念があってですね。wikipediaの解説が分かりやすくて、「あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団のことであり、学習のための共同体と言い換えることもできる」とされているんですね。

-えっと?

いやー、つまり、ここまでの話をひっくるめてまとめちゃうと、お客さんもひっくるめて、slow streamって実践共同体なんじゃないかって。YUMEGIWAの中里くんの言葉を借りると「一瞬目の端を横切った鳥の羽ばたきとか、稲妻の光とか、そういうのも全部ひっくるめてのコレクティブ」ということも念頭に置いているんですけども。

-んんと?

でー、そうやってガチャガチャと経験を重ねていきながら、色んなことの知見や技能を貯めていけたら最高じゃないですか。それができたら、渋谷のど真ん中に根付いて、しっかりと都市文化の醸成をしていますって胸を張れるじゃないですか。

-あー、つまり、繰り返し言っている「人と仕事と社会の成長とシンクロさせたい」というやつですか?

そうです。

-なんかわかる気がします。

ほっ。

CHIYORI × YAMAAN

浅野達彦

HWI(from Seoul,Korea)

欲しい未来を、今のうちに少しつくる

「実践共同体という人の集団はどのくらい続くとされているのか?」っていうのも面白くて。

-はあ。

会社は基本的には恒久的なものとして考えられてて、プロジェクトチームはプロジェクトが終わったら解散。

-なるほど。

実践共同体は、「有機的に進化して、テーマに有用性がありメンバーが価値と関心を覚える限り存続する」のだそうです。なぜなら、人と人の結びつきが、「情熱や、集団や専門知識への帰属意識」だからということなんですけどね。

-価値を感じるか、関心を持てるか、情熱を傾けられるか、成長しているという実感を持てるか。

そう、「コミュニティ・オブ・プラクティス〜ナレッジ社会の新たな知識形態の実践」という書籍に詳しいんですけど、それを、お客さんも含めて、ゆるい輪の中で、どうやって担保していけるか。そういうことを都市でいかに実践していけるか。slow streamって、きっとそういう取り組みなわけですよね。

-うん。はい。ところで、流石に、そろそろお腹空いてきました。それに、こんだけ長くなると、みんな読んでくれますかね。

今、長い文章って読まれないって言われてますもんね。まあでも一旦、それこそ「後付け力」を高めるためにも、「ナレッジ」を貯めていくためにも、ある程度は、そもそものところまでさかのぼって、やり切らないとなって。

-それも「こんぽんてき」ってことですか?

です。

-ホントにナンカ過剰ですよね。

「火のつけどころというものがあって、実際に、火が燃え始めたとしても、一回消えちゃうと、その後また火を起こすのってめちゃくちゃ大変なんですよ」みたいなことを、「わなげぼーぼー」のテルくんがボソっと言っているのを聞き逃さなかったんですけど、そういうことですよ。

-わたし、産休入っちゃいますけど、ここまでやって来て抜けちゃって、皆さんににご迷惑おかけしちゃいます。でも、後任の作永さん、スゴい頑張ってくれているから安心しています。

作永さん、ありがたいです。迷惑ってイヤイヤ、新しい命の誕生を無条件に祝える社会でありたいし、そもそもめでたいことですよ。赤ちゃんの写メ送ってください、服部さん。

-写メって今言いませんって。

そっか、でさあ、slow streamが、これから来るべき未来の社会の縮図みたいになっていったら良いじゃないですか。赤ちゃんのお食い初めもさあ、これから食べるのに困りませんようにっていう願いを込めてやるお祝いの儀式でしょ。slow streamって、もうほとんどそれですよ。

-お食い初めですかぁ。というか、そろそろホントお腹空いたんですけど。

あ、スミマセン。じゃ、また、うん、ホントありがとうございます。

somedarappaのモーションが大階段に

AVA

オーガニック野菜農家 福bio菜園

わなげボーボー

執筆

熊井晃史

写真

立山大貴

校正

丹野暁江、白井亜弥

キャプション

菊池香帆

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